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「そんなことないぞ」 東日本大震災から10年

3月11日、東日本大震災から10年、時間の経過とともに手がかりが少なくなっており、いまだ行方不明者は2千名を超えるという(警察庁3月1日現在の人的被害状況より)。少なからず縁故のある地での出来事で、個人的に深い思い入れがある。

最近、テレビ等で東日本大震災10年のことが発信され始めたころ、ある知人から話を聞く機会があった。その知人は根っからの公明党支持者だ。おのずと話題は東日本大震災から10年との話になった。
「政治家も全国紙なども東日本大震災のことに触れることが少なくなってきている」と言うと、「公明党はそんなことないぞ、最近、東日本大震災の特集サイトができたんだ」と勧めてきた。

その場は聞き流したが、「そんなことないぞ」といった知人の言葉の揚げ足を取ってやろうと思い、パソコンをたたいてみた。
知人がいう特集サイトで気になったのは「震災遺構3Dツアー」というものだ。私自身の縁故のある地を3Dで見られることはよかった。いいものがあるじゃないかと何度も繰り返して見てしまった。

思い返してみると、震災当時は民主党政権だったか。
言葉は不思議だ。誰が言ったか、「悪夢の民主党政権」という言葉が今も頭から離れない。そんな時に野党だった公明党が何をしてきたのか。調べるのも一苦労なので、今度会った時に聞こうと思った。

数日後、知人と話した際に、ちょっとした好奇心から調べてみたことを打ち明けると、知人は堰を切ったように話し始めた。まとめると以下の通りだ。
・民間から救援物資を集積する輸送基地を早急に設置
・救援物資を運ぶ民間車両を救急車両扱いにして通行許可
・政府から発信する災害情報の放送に「手話通訳者」を
・高速道路などはタンクローリー車を(被災地へ)無制限に通らせること
・燃料不足の対策として、石油の国家備蓄を放出

思い返せば、当時は毎日がガソリンを入れる順番を待つ日々だった。車の中で待ちながら見ていたニュースでは、政府は救援物資を早急に送るなどというものの、輸送が滞っていて、被災者の手元に届かないとの報道がされていた。道路が破損してしまい通れないということは知っていたが、救援物資を運ぶ民間車両に、そもそも通行許可などが必要だったのかと改めて思い返し、救援物資を集積する輸送基地の設置などよく考えたものだと感心した。

そこで疑問が一つ生まれた。なぜ、民間車両や輸送基地の設置、高速道路の無制限許可などの対応が思いついたのかということだ。さらに知人に確認してみた。なぜ、当時野党であった公明党がこのようなことを推し進めることができたのかと。知人は、胸を張って答えた。それこそ公明党のネットワークの力だと。

公明党というと福祉や平和の党というイメージだが、ネットワーク力ということも知人が言っていたことを思い出した。
以前、知人に何気なくU字溝の破損が気になるとぼやくと、すぐさまその場で電話をして、議員がすっ飛んできた。私はすぐにその場を後にしたが、後日きれいに補修されていたことに感心したことがあった。
このようなネットワークが震災当時にも発揮されていたのかと思うと、様々な対応ができたことも想像はつく。与党に戻った今もそうなのだろうか。

震災から10年。被災地のこれからと、公明党や自民党、立憲民主党なども含めて各党がどう行動するか、しっかりと注視していきたい。そして、このようなネットワークで、より一層私たちの声を拾ってほしいものだ。

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