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人を知らない間に傷つけてる事に気付くことが、できる自分になりたい。

私は、中学生の時にイジメにあった経験があります。
学校に行くたびに、朝の授業が始まる前に5~6人の女子に呼び出され
「見てるとムカつく」や「なんで今日もいるの?」とか
そんな事を永遠20分言われ続けると言う事が
うる覚えだけど、約3か月は続いた…
その間に、親にはもちろん言わなかったし。
一人で悩んで苦しんで、自分の何がいけないのと
毎日に悩んだ。
でも、いくら考えても答えがわからなくて。
イジメられる理由が全く理解できなかった。
何が嫌だったのかと言うと、言われることはスルーすればいいんだが
その事を毎日続けられるという事の方が苦痛だった。

ハッキリ言ってめんどくさいんです。
対応する側も。

イジメてる本人達は、自分達が勝ち誇っているかのように
思ってるけど
イジメられてる側からすれば、一人では何もできない奴らが
何を言ってんだって思ってる。
これは、個人差はあるだろうけど
私の場合はそうだった。
こういう事でしか自分の存在を確かめられない可哀想な人達なんだと。
だから、いつか飽きてターゲットを変えるだろうと思ってたので
その期間を耐えればいいと考えていて。

でも心の何処かで必ずどうにかしてやり返したい
わからせてやりたいと思っていた。

思っていた通り
彼女たちはターゲット変えてまた違ういじめの子をいじめていた時
その、何人かの女子に
「あんたら、あの子の(主犯格)の子の言う事聞いて、虚しくならんの?」
「自分ってのがないの?」って聞いてみた。
そしたら、その子達は
「それ、思っててん。なんであの子の言う事聞いてるんやろって」
だから
私は
「もうやめたら?意味ないいじめとか」
その子達も
「せやな、なんかムカついてきたわ もうやめるわ」
こんな流れで
その主犯格のいじめの女の子は
一日にして、皆から無視されて学校にすら来なくなった。

この時に感じた事は
人はやはり、自分がされた時の事を考えての自己防衛と
長い物には巻かれろ精神があるんだと。
年齢も年齢だし
自分というものが確立されない年齢でもあるし。
それが当たり前なのかもしれない。
私の場合は、たまたま自分で言えたという事ができたから
ある意味ラッキーであったのかもしれない。

でも中には言えないで苦しんでいる子達もいる。
そんな時に、声をかけてきてくれる人の存在はすごくありがたくて
すごく励みにもなる。
それが、今の世の中ではしない人、見て見ぬふりをする人
めんどくさいからと言って関りを持たない人が多いように思う。
ネット世界ではそれでいいのかもしれないけど
目の前で起こっている事柄から目を背ける人は多いと感じる。

自分はイジメる側だけが悪いとは思ってなくて
イジメられる側にも問題があるとも感じている。


ただやり方の問題で
その子の悪いとこや直してほしい所を言えば済む話だと思うのだが
それすらも言えない世の中なのかもしれない。
コミュニケーションを上手くできない子が増えたり
家では、親からの愛情が上手くもらえなくて
その鬱憤を人にぶつける事で自分の中の心のモヤモヤを解消したりする子もいるだろうし。
親が子供すぎて、子供に人を傷つける事がダメな事を教えられない親もいる。
イジメられる子に関しては
親からの圧力は凄くて
自分の意見が言えなくて人とのコミュニケーションを取ることが困難な子もいるし。
難しいとこである。

そう考えると親としての責任が問われる様になる。
私は子供が3人いるけど
皆に言ってきたことは

弱い者いじめだけはするな!!

これは頑なに言ってきた。
弱い者をいじめても得られるものは
優越感でしかない。
自己満足でしかない。
誇れるものなど何もないのである。

優越感や自己満足は他のもので得られるし
それなら自分のスキルアップをする方が良いと感じる。


人間というものは必ず
誰にでも得意なことがあり
誰にでも長けてるものが必ずある。
そこを自分で見つけたり、親が伸ばしてあげる事で
子供はその可能性に生きる希望すら見出せたりする。

それを出来ない親や子供たちが増えて来てると感じる。

確かに今の世の中、不景気で大変な時期でもあるかもしれないけど
自分の良い所を見つけて
それを伸ばすのにお金が全てではないし
お金が無くても勉強しようと思えばできる事も沢山ある。

今はインターネットの時代で
PCで物事を調べれば大体の事はわかる時代になっている。
そこから得られるモノは膨大であり
沢山の事を勉強できる。
お金が無くてもPCで何かも調べられる場所は
今、かなり増えたように思う。

私は、中卒で、勉強もほぼしてこなかったけど
インターネットでかなり色々な事を勉強できてると感じるし
文章の書き方も、まだまだわからないけど
自分なりにこうして、思っている事を書けている。

結局のところ
何が言いたいのかと言うと

自分の人生は自分が決めて生きると言う事!!

どんなに劣悪な環境であっても
どんなに親に恵まれなくても
自分の人生だから、自分の足で歩いていくしかないと言う事。
時には人の助けを借りて
自分らしく生きていく道を
自分で見つけていく強さを身に着けるという事。

その時はすごく辛くて苦しいかもしれないけど
必ず、生きていれば良い事がある。

ただ、マイナス思考で生きればマイナスでしか人は動こうとしないので
いつも、プラスに思考に考えるようにすれば
少しは生きやすくなると感じる。

悲劇のヒロインを演じ続けてもいい事なんてなくて
逆境に負けないヒロインの方が、どことなくカッコいい気がする。


人に愛されたいと思うならば
まずは自分が人を愛して
優しくされたいと思うならば
自分が人に優しくする
たったそれだけの事なんですよね。

あとは、人の人生に過度な口出しをしない。
その子にとってプラスになる様に
手を差し伸べる人が要るという事。

普通の人ならば
言ってる事のニュアンスを理解してくれると思うんですが…

自分が生きるだけでも大変なのに
人の人生に口を出せる余裕なんてないと思うんです。

何か相談されたりして
それを答えるのはいいと思いますが。
自分から、関わるのは違うと感じます。

そっと見守るという事の大切さと
そっと声を掛ける事と、口出しの違いを理解して
上手く寄り添ってあげれるような人が増えていけば
この世の中は少しは変わる気がするかもしれない。

こうして書き出すと
話がドンドン違う方向に行くので
ここで終わろうと思います。


suzu



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