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街灯

コンビニに行く、とだけLINEを入れて家を出た。

本当はコンビニに行く気なんて更々なかったし、ただ閑静な夜のこの町を散歩したかっただけだった。
最近は夜になると案外涼しくなってきて、日中は忘れかけていても少しずつ秋が近づいているのだと肌で感じる。
ロンティの上にカーディガンを着ても暑くはなく、むしろゆったり流れるような夜風には丁度よかった。

夜のお散歩には最適なこのコース、通りかかる踏み切りがカンカンとテンポよく鳴り響き、踏み切りの音ってなんかやっぱり嫌だな、と思う。
日常に溢れる、たくさんの音のほとんどを気にもかけず生きているのだろうけど、耳を澄ませば色々な声や物音が聴こえる。
その全てが大切だ、なんて綺麗事を言いたいわけではないが、こうして何も考えずに歩いていると、些細な音というのはとても心地よく感じた。
コツ、コツ、と固いのに柔らかなヒールの音。
ゆっくりと走る車のタイヤが、地面をなぞり覆い被さるやさしい重圧。
最近はこの時間になると、鈴虫が泣くようになった。虫は苦手だけど、鈴虫の鳴き声はなんだか逆に聴いていたくなる。踏み切りの音も、これくらい心地良く感じられるならば良い。

カメラを片手に歩き続けていたら、ポタポタと雨が降ってきた。雨女だということはとうの昔から証明されているが、こんな時でさえタイミング悪く雨が降ると言うのか。
仕方なく家路に戻り、来た道をなぞるように歩き帰る。

時々、こうして唐突に家という空間から抜け出したくなる。
それは何か嫌なことがあったという訳でもなく、だけど何かを求めるようにふと外に出る。
寂しがりの癖に、面倒くさがりの癖に、まるで反動みたいに真逆のことをしたくなる。
いや、もしかしたら寂しがりだからこそなのかもしれない。
こうして歩いていると、不思議となんだか心が満たされていくような気がした。まるで街灯の一つ一つ、小さな灯りを拾い集めるみたいに、誰もいない夜の町をただゆっくり、ゆっくりと歩いていた。

家の前について、帰ってきたなぁと呑気に鍵を取り出す。
玄関を上がり、家を出る前よりも30分進んでいる時計を目にして、思ったよりも歩いていたのだと感じた。きっと雨が降っていなければ、もっともっと遠くへ行っていた気がする。

水の代わりに桃のアイスで喉を潤し、ようやく気持ちが落ち着いた。
暖かな布団にくるまると、ああ、もう寝てしまいたいと身体が動かなくなる。少し身体が冷えたのかくしゃみが出て、後ろにいた彼が背中をぽんぽん、と優しく二度叩いた。そしてその瞬間、帰ってきたなぁともう一度私は思う。

雨は止んだだろうか。通り雨だったのか、降り始めだったのかは分からない。
だけどきっと、明日の朝にはそんなことすら忘れているのだろう。
夜の記憶というのは、いつだって曖昧なものだ。いっそのこと、街明かりに溶けていけばいい。

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