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「愛されたい」とは「ステーキ食べたい」みたいなもん。


 時々、ひどく寂しくなる。人恋しい気持ちになる。

 そんなときのわたしは気持ち悪い。
 胸の奥にしまっているはずの愛情飢餓感が騒ぎ出して隠し切れなくなって、駄々漏らしにしてしまう。

 そもそもそんなふうに愛情飢餓感を抱えている自分が恥ずかしくて情けなくて仕方ない。遣る瀬無い。


 今まではそういう部分を自分から切り離して「愛情飢餓モンスター」と名付けて、どこか他人事みたいに気持ち悪がっていた。自分の中の別人格みたいに思っていた。ずっと、他人の愚かしい言動をただ傍観しているような気分だった。
 けれどつい最近「そうじゃない」と、「愛情飢餓感は自分自身の紛れもない一部」だということを感覚で思い知ってしまった。
 そしたら「愛情飢餓感を抱える自分」を余計に気持ち悪いと感じるようになった。より居心地悪く感じるようになってしまった。


 本当はちゃんとわかっているのに。
 わたしの親が(特に母親が)どんなに酷いことをわたしにしたとしても言ったとしても「全く愛されていなかった」訳じゃないということも、わたしは所詮「自分が愛されたいようには愛してもらえなかったということにこだわっているだけ」だということも。

 それをわかっている癖に、愛情飢餓感を抑えられずに欲しがるなんて最低だ。
 欲しがるばかりで誰も愛せない癖に。
 愛されたいだなんて浅ましい。愛されたいだなんておこがましい。
 愛してもらえたって、なんにも返せない癖に。


「あなたのような経験をすればそうなっても仕方がないよ」と言ってくれる人もいるけれど、そんな風には思えない。ただ自分が我儘なだけなんじゃないかと思う。


 欲しいの。足りない。もっと頂戴。
 そうやって駄々をこねて泣き喚いている、わたしの中の幼稚性。
 まるで赤ちゃんみたい。すごく嫌だ。
 赤ちゃんならかわいいけれど、わたしはもういい大人なのに。気持ち悪い。いたたまれない。
 どうしたらいいのかわからない。


***

 と、まぁこんな感じで、長年自己嫌悪と自己否定感に苛まれメンタルが暗黒面に堕ちていたのだけれど、色々なことを考えて反芻して言語化して文字にして、それを自分で読んで泣いて泣いて泣きまくったら、「うーん、なんかもう……仕方なくない?」とふと思った。
 だって「愛されたいようには愛してもらえなかったということにこだわっている"だけ"」と言ったけれど、よくよく考えてみれば欲求が何一つ解消されていないのだから不満があって当然なのでは?

 
「ステーキが食べたい」と言っているのにハンバーグを出され続けたら

「いや……違うの……
 どっちも肉料理ではあるけど違うのよ……」

 ってなるのと同じで。



「ハンバーグもおいしいもんね、
 だからハンバーグで我慢するね」


 と物わかりのいい健気な振りをして「我慢できるわたしは偉い、いい子だ」と思い込んでいたけれど(無意識に自己暗示を掛けていたけれど)、「ステーキが食べたいときにハンバーグで満足できる」なんて、そんなの欺瞞だ。嘘っぱちだ。いい子でもなんでもない。 


「ステーキが食べたいんだもん!
 ハンバーグじゃないもん!
 おいしいけど違うんだもん!」

 そんな気持ちを押し殺して無理やりハンバーグで満足した体(てい)を装って、ストレスを溜めて溜めて溜めて溜めて、爆発してりゃ世話がない。

 ひどいときには、

「ハンバーグなんていらない!
 というかお腹空いてない!
 なんにもいらないもん!」


 と何もかもを拒否してしまう。


 拒否する癖に心の奥底では「『ステーキ食べたい』欲求」が満たされないままどんどん燃え盛って爆発して、「ステーキが食べられない」「ステーキを食べさせてもらえない」という怒りや恨みを誘爆させる。
 そしてその誘爆で自分を傷つけて苦しめたり他人を巻き込んだりする。


「我慢して偉い」どころか、究極に厄介だ……
 わたしははちゃめちゃに、どうしようもなく厄介な子だった。

 だけどもう、認めよう。
 厄介な子だったという事実も含めて、自分を認めようと思った。認めるしかないから。

 仕方ないのだ。
 欲求が満たされなかったんだから。
 仕方ないのだ。
 愛されたいもんは愛されたいんだから。
 どれだけ取り繕ったって格好つけたっていい子の振りをしたって、欲求をないことにはできない。なかったことにはできない。

 みっともないと言われようがドン引きされようがわたしの心はちっこい赤ちゃんのまんまだし、
「愛されたいよー!」
って叫んでいるんだから致し方ない。
 恥ずかしくても情けなくても。


 別にそれは「このままでいい」という意味ではなくて、"いま"現段階でそういう状態なのはもうしょうがないことだから、愛情飢餓感を抱えている自分を必要以上に「最低だ」と否定したりしつこく責めるのはやめよう、ってこと。
「愛されたい」と思うだけなら、主張するだけなら、誰にも迷惑などかけていないのだから恥ずかしいとか情けないなどと思う必要もきっと本当はないんだ。
 そこから発展(退化?)して、勝手に自爆して自分や他人を傷つけるのが良くないのであって。


【わたしは ひらきなおり をてにいれた!】


 という訳でわたしは愛されたいです。
 そして「愛されたい」と直截的に表現するのはやっぱり気恥ずかしいので、隠語を「ステーキ食べたい」にします。 


 ステーキ食べたい。


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