【読後感】欲と切り離したお金の話
お金って不思議ですよね。
それさえあればなんでも出来るのは事実だけど、それだけあって良いのかというとなんか違う。
■金が価値を示すとき
例えば被災地でティッシュや布切れはとても大事だけど、札やコインは何の役にも立たない。
例えば札束を抱えていても、自分の住む家の周りに店もインターネットも無ければ何の役にも立たない。
みんなお金は大好きだけど、なぜ好きなのかをよくよく考えたことは無い。それどころか、何も知らないままに「金!金!」と言うし、一方でそんな人のことを卑しいと思う人もいる。
そう、
金はツールであって、人生の目標ではないのだ。
ましてや欲望の化身でもない。
それに気づくことが出来れば、お金に対して適正な距離を保ち、冷静に取り扱うことが出来る。金に支配されずに、使いこなすことが出来る。
金は結果であって、生きていくうえでの本質は別にある。
■金は手段でしかない
金持ちほど、無価値なものにはケチであると聞く。
たくさんあるから使うのではなく、必要だから使う。価値を感じないものには払わない。改めて思えば当たり前の事なのに、意外とこれが出来ない。
限定品とか、タイムセールという言葉に弱い人はもれなく散財していく。金持ちと貧乏人の差は、お金をツールだと思って割り切れている人とそうでない人の差かもしれない。
例えたくさんあっても必要ないなら使わない。金をツールとして捉えている人にはこれが当たり前に出来るという訳だ。
■結局のところ
金は所詮 信用の形でしかないし、金がそこにあったとしても何でも手に入るわけではない。
物々交換が面倒になり、信用できる誰かが「これを代用しましょう」と取り決めたのが金。取り決めの範囲には限界があり、それを国単位で行ったために通貨という概念が出来ただけ。
そう考えると、だ。
インターネットが普及し、ブロックチェーンの技術を活かしてより広範囲で取り決め可能となった仮装通貨はやはり次世代の常識なのかもしれない。
人が集まれば価値が上がる。
この概念に乗るならば今からでも仮装通貨への投資は遅くないのかな、と。
結局金儲けがしたくてそんなことを考えた。
金は所詮ツールであったとしても、
いやツールであるからこそ、国境を越えて使えた方が便利なのであり価値が高まる可能性を秘めている。
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