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【ビジネス考察】今どき性欲でハラスメントは起きない

世の中が歓送・歓迎の季節になり、そしてマスクの着用が自己判断になる。今年の春はそこそこ飲食店も賑わいそうだ。良かった良かった。

3年間ほど色んなものが自粛されてきたことを思えば、街に酔っ払いが増えることぐらい少し目をつぶってもいい。駅のホームに人が寝ているのを見て、古き良き(といっても3年ほど前)時代を思い返すのも悪くないとすら思う。
それくらい我々は自制してきた。


しかし、
こうなってくると少し心配になるのが、ハラスメントオジサンだ。

もしかしたらこの春大量発生するかもしれないと、秘かに余計な心配をしている。堰を切ったおじさんたちの勢いは凄い。街は花粉並みにハラスメントオジサンで溢れる。

今どき性欲や支配欲でハラスメントを起こす人は少ない。そんな事ない!と思うならそれはさすがにヤバい組織だ。世間はすでに次のステージに入っている。早々に脱出した方がいい。

今最も恐ろしいのは、
セクハラやパワハラには十分注意しつつも何らかのハラスメントをしてしまう、いわば無認識の予備軍かもしれない。

その根源にあるものはずばり「承認欲」ではないかと、そう考える。



■承認欲求

突然だがオジサンとは寂しい生き物である。


それはどんなに真っ当な生き方をしてきた人だったとしても、もれなく感じるものかもしれない。世間はそれを哀愁と呼ぶが、そんなに文学的なものではない。

主役の座を勢いある若手に譲り、自らはサーバントな立ち位置を決め込んでその成長に目を細める。
時代の波にも敏感で、流行にアンテナを張りつつも細心の注意を忘れず「それエモいじゃん!」という言葉が喉まで出かけたとしてもグッと堪える。

こうして、
出来るオジサンになればなるほど、秘めていた承認欲求は高まる。そして古き良き時代の輝かしい自分が、酒の力を借りてひょっこりと顔を出す。気が付けばヨネダ2000でも、C○VID2019でもなく、夏の日の1993が恋しくなっている。

そして遂に、盛り上がりが最高潮に達した時に”それ”は発せられる。

「オレらの若いころなんてなぁ~」

ハラスメントの入り口だ。



■自慢話

他人の自慢話なんてものは犬も食わない。それがオジサンが発信源ともなればもはや虫ですら食わない。

聞き飽きるぐらいならまだしも、残念ながらそれは熱を帯びると少々説教じみてくる
これが危ない。

自らの承認欲求を満たすための武勇伝が、聞かされる若手にとっては説教に変化している場合が多々ある。犬も虫も食わないはずの自慢話が、突如としてハラスメントのきっかけになっているのだ。


それでも、だ。
コ口ナ以前はまだ少し空気が違ったと思う。何と言うか、オジサンの承認欲求に付き合う行為は酒を奢ってもらうためのテクニックだという風潮があった。

用意周到な若手たちは「飲みに行きましょうよー」とオジサンたちに擦り寄っていつもの居酒屋に連れ出し、気持ちよく話をさせながら次々と追加注文を取り付け、しこたま飲み食いした挙句に「ごちそうさまでした!」と今日イチ張りのある声で礼を述べ、華々しく終電へと散っていった。

完全に手のひらで転がされているのだが、悪い気はしない。財布から卒業していった諭吉にもさぞ幸せな未来が待っているだろうとほくそ笑む余裕すらあった。

それが、
飲み方を忘れた現在においてはあの時ほど上手く作用しない恐れがある。
世の中はとにもかくにもハラスメントになってしまったからだ。


自らの承認欲求をグッと堪えながら聞き役に徹する。(話してしまえば堰を切ったようにあの忌まわしき自慢話が出てくる可能性がある)そうして数時間耐えたのち、「え、出しますよね」といった空気感の中で数枚の諭吉を放つ。

何かに耐えに耐えたあと、金を払う。この修行のようなルーチンが、新時代の飲み会の在り方かもしれない。

自らをシバキ倒して快感を得たいなら、激アツのサウナの方がよっぽどいい。最近のサウナブームはこんなオジサンたちの自虐行為から来ているのかもしれない。(多分違う)


いずれにせよ…
今どき性欲なんかでハラスメントは起きない。危ないのは、オジサンたちの承認欲求と、ハラスメントの空気感。


熱い春が始まる。





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