【ビジネス考察】Chat GPTでヤッホーを想い出した話
最近立て続けに2つほどのセミナーを視聴したのですがいずれも冒頭(それはおそらくアイスブレイクの時間)にて、
「最近Chat GPTのことばっかり考えててー」とか
「GPT-4の可能性考えるとなかなか眠れなくってね」とか
決まりごとのようにそんな会話から始まりました。
GPT-4とそのChatの何がどう凄いのかをここで熱く語るのは控えるとして、こういうお決まりの会話を聞くとあまのじゃくな自分としてはどうしても意識高い系アピールに見えてしまって、何となく気が引けてしまう。
これまでも幾多のバズワードが世の中を席巻し、そしてあっという間に誰も言わなくなったりしたわけで。
しかし、
このChat GPT狂想曲は少しだけその雰囲気が違う。そしてそう感じる理由として、この話題を聞くたびに個人的にある事を思い出す。
話は僕の学生時代にさかのぼる。
■頭のいい先輩
僕は機械工学科の学生だったため、主な授業は製図だった。美大生たちが持ち歩いているような黒い筒を同じように持っていて、ガンキャノンのように構内を闊歩していたのだが、そんな僕らにもプログラミングの授業があった。
当時はパソコンが校内の専用の部屋にしかないような時代で、僕らは課題を提出するためにその部屋に閉じこもっていた。いや、正確には閉じ込められていた。
何だかよく分からない英単語を教科書通りに端末に打っていき、ただカタカタ動くだけのくそつまらない黒画面を大仏のような顔で眺めていたところ、「よう!」と威勢のいい声でサークルの先輩が入ってきた。
先輩はヨレヨレのジーンズと謎柄のシャツという、おしゃれとは程遠い風貌だったが人柄も良く、そして何より頭が良かった。そして、
「ちょっと面白いもん見せてやるよ」
と、大仏面した僕たちに向かって気を利かせて盛り上げようとしてくれた。
先輩は颯爽と空き端末を起動させると、何やらURL(当時はそれすら何なのかわからなかった)を打ち込んで「YAHOO」という画面を表示させた。
「なんすか。このヤッホーって?」
冗談と思われるかもしれないが初めてそれを見た大仏たちはナイツ漫才のようにヤッホーと読んだ。
「ヤッホーじゃなくてヤフー。ちょっと見てな。」
そう言って頭のいい先輩はカタカタと何かを打ち込む。
先輩と僕らはそのあと数分間無言の時間を過ごす。
これも信じられないかもしれないが当時はWEB画面を表示するだけでもそれなりの時間を要するような有様で、検索ともなれば結果が出るまで分単位の時間を待たされた。
そして何とも言えぬ時間を過ごした後、カクカクと何かが表示され、頭のいい先輩は満足げにそれを僕らに見せてくれた。
全く面白くなかった。
正確には、これの何がすごい事なのか理解できなかった。今のようにパソコンの動きも機敏ではないし、かつ検索結果で表示されるページ数も潤沢ではない。
頭のいい先輩は再び大仏のようになってしまった僕たちを見て「なんかごめんね」と言ってその場を後にしたのだが、今思うとこれはものすごい場面だった。
その後のインターネットの進化はもはや説明の必要はない。
そのインターネットの初期中の初期の段階で、頭のいい先輩はそれを僕らに教えてくれていたのだ。
しかし、バカ学生だった僕らはそれをみすみす見過ごした。これの可能性について、何一つ閃かなかったのだ。
■何がすごいのか
Chat GPTに初めて触れた時、正直 検索結果を整理して教えてくれるぐらいの価値なのだと理解した。
しかし、
どうやらこの見立ては間違っている。
今の僕は、ネット検索を初めて見た大学生の時よりは感度が上がっているかもしれないが、創造力や先見性という意味ではまだまだ物足りない。
じゃぁ何が凄いのか。
それを考えて考えて産み出すことができた人が先行者利益を得ることができるに違いない。
だからビジネスでそれをうまく利用したい人たちは寝る間も惜しんで虎視眈々と目に見えない何かを狙っているという訳だ。
そう考えると、Chat GPTを嬉々として語ることは必ずしも意識高い系のアピールではない。それはインターネットの普及が僕らの生活を一変させた事実を想えば想像に難くない。
あの頭の良かった先輩は今現在、何を考えているだろうか。今だったら少しは成長した自分に対して何を語ってくれるのか。
Chat GPTを考えると、僕はヤッホーを想い出す。
笑い話のようなその瞬間が、何かの始まりだったりする。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!
※当時と今の違いとして、情報の多さがあると思います。
今の世の中にはGPT-4の凄さをとても丁寧に教えてくれるサイトがあったりします。興味のある方はこちらを視聴してみてはいかがでしょうか。
とても参考になりました。
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