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【真実】見たくなければ見なければいい
ちょっと前にナイナイの岡村さんが「見たくなければ見なければいい」と発言してプチ炎上していましたが、その真意とは裏腹に本当にテレビの視聴率は低迷しています。
視聴率低下はスポンサー収入の低下を招き、そのしわ寄せをくらった形になったのがサッカーワールドカップの放映権でしょうか。
”普段は見ないけどそれは見たい”といういびつな需要と供給のバランスが既にズレていることを示すとても分かり易い事象でした。
■選べるから
少し整理しておきたいのが、テレビの視聴率低迷が岡村さんの発言に対する反発のようにとらわれがちですが決してそんなことは無いという事。
本質は明確で他に選べる”映像の娯楽”が増えた。ということだと思います。ネットワークやモバイルの技術革新によりお茶の間でテレビを囲んでという世界観が崩れたことも付随します。
テレビ一択ではなく他に選択肢が増えたから必然的に視聴機会が分散し、視聴率が落ちた。そういう事だと思います。
「(番組に不満があって)見たくなければ見なければいい」
は、
「見たくなければ(敢えてテレビなんて)見なければいい」
となって、
図らずもしっかりと未来を見据えた名言になってしまいました。
■ここからが本題
この「選べる」という事態。
便利な一方で、少し難しいなと思うこともあります。つまり本当に、見たくないから見ないという世界を自分の中で無意識的に作り出しているからです。
最近 痛感した出来事が。
2022年4月時点。大国の武力侵攻は目を覆いたくなる事態になっています。ネットを閲覧すればその情報は大量にあり、どれを読むか「選ぶ」状態にあるわけですけど・・・読む記事のチョイスが偏向的であることに気付きます。
つまり、積極的に
「プーチンが追い込まれている」「口シアが困っている」という記事を選んでおり、逆に
「国際社会は足踏みしている」みたいな記事は避けている(ていうか選ばなくなっている)のです。
それは記事のアクセスランキングなどを見ても割と顕著です。あぁみんな一緒だな、と。
■結局、
僕らは自分が見たいものだけを見て、それを正と考えるようになっています。実は選べなくて押し付けられていたころとあまり変わっていません。
岡村さんは「見たくなければ見なければいい」と言ったけど、それはあえて言われなくても人間の本質的に備わっているようなのです。
それが戦争とか言う究極的なものが対象になればなるほど自分の中で確立されていく。
こうしてプロパガンダは姿を見せるのだろうか。
その片鱗を見た気がして少しぞっとしました。
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