【ビジネス考察】【就活】配属ガチャはネガティブなのか
基本的には「配属ガチャ」って概念は嫌いだなー。
ガチャと捉えることに否定的というよりは、希望通りにならなかったことを妬み嫉みネガティブに捉える短絡さが嫌い。
一方で、
これ自体はとてもポジティブな傾向かなとも思います。
どっちやねん。と、矛盾しているこの2つの視点。
それはいったいどういう事なのか。
一つずつ。
■営業しか知らない営業は無能
僕の会社にもとても優秀な営業と、そうでない営業がいます。
その差は何なのか。
それはズバリ積極的に勉強しているかどうかに依存しているように思います。
ここでいう勉強とは、営業以外のこと。
例えば優秀な営業は、自分が営業している製品やサービスの事を良く知っています。それは部署で言えば「技術」や「企画」の範疇です。
自分自身の営業としての能力を伸ばすために、積極的に他部署の業務に興味を持って知識を得ているのでしょう。
これはとても正しいアプローチです。
こんなことも言えると思います。
営業職が出張のたびに清算する旅費などの経費。あれを裏で処理している経理や総務の事をどれだけの営業が意識しているでしょうか。
優秀な営業はそういう事も知っています。そして配慮が効きます。配慮が効けば彼の周りには協力者が集います。
配属が思い通りにならなかった時、
それは決して絶望ではなく近い将来、自分自身が望んだ道で大成功するための糧を得るチャンスであると言えます。これは”絶対に”と言い切っても良いくらい、真実です。
そしてこういう経験は早ければ早いほど良い。
配属ガチャとはむしろラッキーなのかもしれません。年を取れば取るほど、希望外の部署で経験を積むことなど出来なくなってきますから。
「配属ガチャ」という考えに違和感を感じた人の多くはジョブスの言葉(connecting the dots)を思い出したのではないでしょうか。
断言します。
仕事をしていると、ある時突然 点と点がバチバチっとつながる瞬間が必ずやってきます。「あぁそういう事だったのか」と。
点とは経験です。散らばっていた磁石が何かの衝撃をきっかけに一気にくっつくような、あの感じ。
配属ガチャを悲観して避けていく人は、こういう経験をすることは無いでしょう。
これはとても勿体ない事なのかな、と思います。
■自分で自分をしっかりと見ている
一方で、
希望通りでないことに不安や不満を覚える人は、自分自身のやりたいことが明確であるとも言えます。
ただのわがままでなければ、これはとても尊い事です。
なぜなら、
これまでの大学生って、学生時代はとにかく遊びまくって、時期が来れば髪の毛を黒にして、みんなと同じスーツを着て、慌てて会社の事を調べて、集団で会社の説明会に行って、手当たり次第に会社を受けて、志望動機に嘘を並べて、受かった会社にとりあえず入ってました。
もちろんそんなことない人もたくさんいると思いますけど、でもほとんどの大学生はそうだった。そしてそれを会社側も当たり前だと思っていた。
じゃなきゃ就活というイベントが成立するわけがない。
でもですね、本来就職ってそうあるべきではないんですよね。
将来なりたいビジョンがあって、そのために大学入って、その大学で勉強や経験を積む。
そこで得た知識や武器をもって会社に入って貢献する。それをアピールして選んでもらうのが就職活動。
つまりですね、配属が希望通りにならなくて憤るってのはある意味正常なんですよ。
素直さは必要だし、前に述べた通りすべての経験が糧になるとは思います。
けど、大前提として”私はこうありたい”という意思が無いってのは大問題。あって然るべきなんですよ。
自分もそうだったんですけど、
昔の就職ってそういう意味ではとても悠長でした。そしてこれが企業の生産性を下げてたし、実力主義ではなく年功序列を正としてきたんですよね。
勝負は会社に入ってから、なんて思っていましたから。
この忌まわしき概念が少しずつ崩れてきているのかな、と。
個人的には「配属ガチャ」という言葉からポジティブな側面も感じたりもするわけです。
■「我儘」と「意志あるところ」は違う
結局はこの差なのかな、と。
意思のない「配属ガチャ」嫌悪は、最悪。
意思のある「配属ガチャ」嫌悪は、良くわかる。
ただ、
意思のある「配属ガチャ」嫌悪があったとしても、それは必ずしもネガティブではないよ、とも言いたい。
人生は長い。
社会人人生はまだまだ続く。
若いうちにこそできる経験ってものを大切にして欲しいですね。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!
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