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【エッセイ】東日本大震災から10年~かつて住んでいた南三陸町へ

 東日本大震災発生から10年になるのを前に、宮城県南三陸(みなみさんりく)町に行ってきました。南三陸町はあの日、15.5メートルの津波に襲われ壊滅的な被害を受けた町です。

 実は私は、子どもの頃2年間だけ南三陸町に住んでいたことがあります。通っていた小学校の校庭から見える海がとてもきれいだったこと、町の商店街にある本屋さんの奥にあるヤマハ音楽教室に近所の友達と一緒に習いに行っていたことなど…思い出します。

 ところが震災直後、小学校は避難所となり、商店街は跡形もなく津波に流されてしまいました。今は復興が進み町全体が整備され、町並みも大きく変わりました。たった2年暮らしただけの私は、かつての様子を思い出すことができないでいます。

 この日最初に訪れたのは「南三陸町震災復興祈念公園」。その中に多くの犠牲者を出した町の「防災対策庁舎」が震災遺構として残されています。



 近付くと、鉄骨が大きく歪んでいるのが見えました。普段の生活でそんな状況を見たことがなかったので、一瞬にして町をのみ込む巨大津波の恐ろしさを感じ、しばらくその場に立ち尽くしてしまいました。

 そして、敷地内の小高い丘の上へ。慰霊碑があり、東屋があります。目の前には、青々とした海が見渡せました。かつて子供の頃に学校から見えたのと同じ風景でした。あんなに恐ろしい津波と結びつかないくらい、穏やかでした。


 それから公園を後にして、隣の「南三陸さんさん商店街」に行きました。被災した店舗の復興商店街で、魚屋さん、かまぼこ屋さん、お寿司屋さん、お菓子屋さんなど約30店ほどが軒を連ねています。

(川沿の平屋の建物が「南三陸さんさん商店街」)

 その中に子供の頃によく行っていた文房具屋さんと床屋さんを見つけました。文房具屋さんでは可愛いものが多くていつも迷いながら買っていたこと、床屋さんはその頃住んでいた家の近所だったのでよく行っていたのを思い出します。記憶はおぼろげだけど、確かにこの土地で暮らしていた証拠を見つけた気がしました。

 
 私が今暮らす地域は、震災の被害も比較的少なく、時がたつにつれて震災が話題に上ることも少なくなった気がします。南三陸に行き、震災を忘れないようにしたい、と強く思いました。