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【エッセイ】日曜日の病院で感じた、人の温かさ

やらなければならないことが重なり、忙しいときに限って、何らかのトラブルが発生してしまう……みなさんは、そのような経験をしたことはないだろうか。

わたしも先週の日曜日に、やらかしてしまった。引越準備のさなかに、自宅である団地の玄関ドアに指を挟めてしまったのである。

今住んでいる築40年の団地の玄関ドアは重い鉄製だ。手を離すと一気に閉まり、階段中に「バーン」という音が響きわたるので、わたしは、ドアを閉めるときは左手を添えて、右手で少しずつ閉めるようにしている。

この日は、左手の親指をドアの蝶番に挟んだまま、無意識のうちに右手を離してしまっていた。鉄製の重いドアは勢いよく閉まり、指が挟まった。気がつくと、爪の下の皮膚がぱっくりと割れて、血がどくどくと流れている。一瞬、何が起こったのかわからずにいたが、じんじんとした痛みで我に帰った。慌ててリビングに駆け込み、ティッシュで血を止めようとするも、止まらない。

必死でティッシュを継ぎ足しても、白いティッシュは真っ赤に染まっていくばかり。心の中は落胆でいっぱいだった。なぜかというと、引越準備の後に、以前から楽しみにしていたイベントに行こうとしていたのである。時間までに作業を終わらせたいと焦っていた中でのアクシデントだった。「どうしてこんな時に限って、ケガをしてしまうんだろう!しかも日曜日でかかりつけの病院は休みだし、どうしよう…」。タイミングが悪い自分への怒りがふつふつとわいてくる一方で、止めどなく流れる赤い血を見て不安のあまりにうろたえていた。

でも、このまま佇んでいても血が止まるわけがない。日曜日でも診察してくれる病院はないか…と思ったときに思い出したのが、わが家から電車一本で行ける急患診療所。お医者さんにみてもらえると思うと、沈んでいた気持ちが少し上向いた。「とにかく、電車に乗って病院に行こう」と思い、二重にしたカットバンを傷口に巻き付けて家を出た。

電車内でも血は止まらずにハンカチで左手親指をおさえ続けた。同時に傷口がジンジンと絶え間なく痛む。この血はいつ止まるのか、こんなにも痛むから骨は大丈夫だろうか。ついさっき上向いた気持ちが、徐々に不安な気持ちに変わる。そして、「なぜあの時、気をつけなかったんだろう」という自分を責める気持ちまでもわき上がり、イライラした。心の中は不安と苛立ちが行ったりきたり。病院までの道のりがもどかしくて、15分の道のりが30分以上に感じるほどだった。

ようやく診療所の最寄り駅に降り立ち、5分ほど歩くと診療所の入口にたどり着いた。中に入ると「こんにちは。今日はどうされましたか?」と、メガネをかけた看護師さんが声をかけてくれた。彼女の優しい眼差しや、柔らかい話し方にホッとする。一瞬、傷口の痛みが和らいだ気がしたほどだ。

急患診療所は思っていたよりは空いていて、受付から数分で診察室に呼ばれ、中に入る。メガネをかけた、知的な雰囲気の若い女医さんと、アラフォーの自分より少しお姉さんくらいの看護師さんが迎えてくれた。「このケガを、止まらない血を何とかして下さい」とすがるような思いでいっぱいだった。

ケガをした状況や症状を聞かれ、一部始終を話す。「引越の時、指を挟んでケガをすることよくありますよね」「ですよね、普段気をつけているのに、忙しい時に限って抜けたりして」お医者さんや看護師さんが優しく答えてくれた。

それからレントゲンを取り、骨には異常がないことがわかった。不幸中の幸いだった。再び診察室で先ほどの女医さんと看護師さんに応急措置をしてもらう。テープで傷口を貼り合わせ、包帯でぐるぐる巻きにされながらも、他愛ない話をしながらだったので気分は軽くなっていた。

帰り道、傷口は痛むものの、気分は良かった。心の中は温かく、例えるとすれば、柔らかい毛布で全身を包まれたかのような気分。行きの電車の中では不安やイライラしていたのが嘘のようだった。病院で専門家に見てもらえたことはもちろんだけど、人の温かさ、優しさに触れたことで、ケガした事実は変わらないのに気持ちが変わっていた。

困っている時や心が沈んでいるさなかに、人の優しさに救われた気がしたのだった。