固定観念ぶっこわせ!!

今日はme-meさんの記事を読んで、首もげたので書きます。

私も実は数年前から、自分の固定観念や価値観の書き換えをしていました。
それはme-meさんも書かれているように「自由になりたい」から。

noteを始めたのもそのひとつ。
それは発信して何かを手に入れようとした訳ではなく、「人目を気にせずに自分の考えを言える自分になりたい」と思ったからです。

すごく時間はかかっている気がするけれど、こうやってnoteには自分の気持ちを綴れるようになってきました。

私達は何気なく暮らしている中で、沢山の価値観に縛られています。
そして、それらに気づく事もなく過ごしています。

でも、ふとした時にひとつひとつ見つけて「それは本当?」と問いかけていきました。


自分がいいなぁと思う人は、自分よりも広くて大きい価値観だったり、固定観念を持っていない事が多いです。
「べき」や「ねば」にとらわれている時、心はすごくギュッと締めつけられるように苦しいし、重たくて暗い感じがします。
でも、そういうものをとっぱらった時、視界が開けるような気持ちになります。


たとえば「子どもの面倒は親が見るべきだ」という固定観念がある人は、自分で面倒を見ようとしますし、それが当たり前だと思います。

私は長男が赤ちゃんの時に、行きたいイベントに行く時に預けるのではなく、一緒に行くという選択をしていました。
行くことは諦めなかったけれど、「赤ちゃん連れでいいですか?」とか問い合わせて抱っこ紐で連れていきました。
今思うと、はてなしかないです。

でも、そういう固定観念がない人は夫に預けたり、両親に預けたり、義両親に預けたり、友達に預けたり、シッターさんに預けたり。
そんな風に沢山の選択肢から選ぶことができるのです。
それは、それが良いとか悪いとかじゃなくて「選べる」という意識をもっている自由なことだと思います。


私は本当にべきねばだらけでした。

朝は起きて朝ごはんを作るべき。
毎日掃除してきれいな家にするべき。
優しいお母さんでいるべき。
夫を支える妻でいるべき。
年相応の服装をするべき。
愛想よくするべき。

そういうものをいっこずつ変えてきました。

朝ごはんは作らなくていい。
毎日掃除しなくていい。
子どもに怒ってもいい。
夫婦は支え合えばいい。
好きな服を着ればいい。
いつも愛想よくなくていい。

そして変えていっても何も問題はありませんでした。
さらに「べき」や「ねば」の考え方がなくなると、朝ごはん作るのが楽しくなったり、掃除が楽しくできたりもします。
それは自分が選べる自由があり、かつ「したい」と思えるから、同じことをするのでも気分が変わるとわかりました。


でも、玉ねぎの皮をむくように、自分の固定観念はどんどん出てきます。
最初は出来なかったことが出来るようになると、さらにまた違う思い込みに気づきます。

そうやって拡大していく事を知ってしまうと、そこに留まることがひどく辛く思ってしまう。

でも、ゆっくりでも一枚一枚剥がしていくしかないんだと思う。


私の場合は、嫌なことや驚くようなことがあると見つける事が多いです。

昔は嫌な出来事があると、すぐに「嫌だ!」「悲しい!」「なんでこんな目にあうの!」と、感情の渦にのまれていました。

今は「あ、嫌だなと感じてる。なんでだろう?何が嫌なんだろう?危ないから?手続きが面倒くさいから?お金がかかるから?また同じようなことが起こったから?」

そんな風に客観的に物事を見たりするようになりました。

それでも激しく感情が動くときは、自分の中で大きな固定観念があることかなあと思います。


私なりの固定観念の変え方は、少しずつ納得させることです。

たとえば「朝ごはんは作るべき」という場合。
そう思っているのにいきなり「作らなくていい」と思うことは難しいです。
(もちろんすぐに出来る人もいると思う)

そんな時は「朝ごはんは作らなくてもいいのかもしれない」とします。
そうすると不思議なことに、作らなくてもいいというようなことを見たり聞いたりします。
うちは朝ごはん作らないよ~という話を聞いたり。
テレビで家族それぞれがご飯を用意しているのを見たり。
雑誌で朝ごはんは旦那さんが作っているという記事を見たり。

そうすると、自分の中に「作らなくてもいいのかもしれない」という情報が増えてきて、それを信じられるようになってきます。

次はそこから「作らなくてもいい」と思うには、実際にやってみるしかありません。
家族が朝ごはんを食べるときに任せてみます。
やり方は色々ありますが、旦那さんに頼んでみたり、子どもたちに適当に食べな~って言ってみたりします。
そうすると、は~いと言って自分たちで食べてくれたり、用意してくれたりします。
もちろん上手くできなくて呼ばれたりもするかもしれません。
でも、それが大きな一歩だと思うのです。


うちも旦那さんは自分で食べるし、子どもたちも自分で冷蔵庫をガサガサして食べます。
もちろん私が作ることもあります。


お休みの日は旦那さんがみんなの分を作ってくれたり、子どもたちから「朝昼けんようにしよう!」と提案してくれることもあります。

そういう時にモヤっとしたら、またもやチャンス!!
「旦那さんにしてもらうのは悪い」
「ご飯は3食きちんと食べないと」
「栄養バランス悪くなっちゃうかも」
と、こんな風にまた新たな思い込みを見つけられます。
それをまた、少しずつぬいでいくのです。


「旦那さんにしてもらうのって悪いの?」
「ご飯は3食きちんと食べないといけないの?」
「栄養バランスよくないといけないの?」


たぶん他の人から見たらはちゃめちゃなことかもしれないし、褒められるような素晴らしいことではないのかなと思う。

でも、私は自分が苦しい事や葛藤することは自分が生み出していると思う。
自分の思う正しさや、正義やルールから、自分が外れてしまうことがひどく辛い。

だから、自分のルールをゆるめてしまえたら、いちばん自由に気楽になれるんじゃないのかなと思う。

そして、自分がゆるまってくると他人に対しても寛容になれる。


と、ここまで書いていたのですが、またme-meさんの記事の続きが…。

いや、本当に素晴らしいなーと思いました。

本当に行動だけ変えても、意識は変わっていなかったら、あんまり意味ないんですよね。
私は自分の中でメンター的な方がいて、それで気づかされたのですが、me-meさん自分でそう思われているのすごいなぁって思います。

本当にto doを消化するような感じにしてしまうのは、もったいないですものね。
私も小さな自分改革をやっていこう!!と思います。


●固定観念を壊すことは、他人に迷惑をかけてもいい、人を傷つけてもいいとかそういうことではないです。
自分の要望を通すのが目的ではなく、伝えられる、選択できるという意識になるのが目的です。私の場合は。
断られても仕方ないと思うし、迷惑をかけたら謝ることが大事だと思っています。

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