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『ふがいない僕は空を見た』 窪美澄

2021年12月14日

タイトルがいい。

『ふがいない僕は空を見た』

どうしようもないことがたくさんある。

もっと自分に力があれば、お金があれば、才能があれば・・・

でも、今の自分にはどうしようもできない。

そんなどうしようもない想いをどうしようもできなくて、

ただ空を見る。


本の構成は、高校生と主婦のちょっと変わった不倫、という出来事を中心にした短編集。

こうやって書くといかにもドロドロな昼ドラっぽいけど、(確かに性的なシーンや「うっ」と辛くなっちゃうシーンもあるけど・・・)

全体を通してみると、人生の生きづらさをそっと和らげてくれるような、雨上がりの澄んだ青空みたいな物語だった。


この本を読んで思ったのは、

「人生にゴールはなく、いいことも悪いことも絶えず変化する」

ということ。

人生にはゴールがあるような気がしていた。

最近(私の中で)話題の就活でいうと、

自分の望む職につけたら安泰。もう一生職を探す必要はない。

と、本気で思っていた。(実際就活後にスーツ捨てたこともある笑)

でも、そんなゴールはなく、結局仕事が合わず、辞めてしまった。

無意識のうちに、映画や本みたいな「ハッピーエンド」が自分の人生にも来てくれるんじゃないか、と期待していたんだと思う。

そんな「終わり」が人生にはないんだということを、この本は教えてくれる。

それぞれの物語で主人公が違い、一つ一つの短編がそれだけで完結している。そのため、一瞬「この物語はここで終わりなんだ」と勘違いしてしまう。

でも、一冊通して読むと、その物語は終わっておらず、続きがあったのだということがわかる。

読み進めていくほどに、どうしようもない展開が待っていて、暗い部屋で布団かぶり、丸くなって眠るしかなくなる。

でも、周りの人たちに引っ張られて、なんだか少し楽になって、少しずつ布団から出て笑えるようになる。

そして、「あ、悪いことは終わったんだ、解決したんだ」

と思った矢先、ちょっとしたきっかけでぶり返して、布団の中に戻ってしまう。

「終わり」なんてものはなく、少し良くなったり、また悪くなったりを繰り返す。


ただ、この物語は「人生なんてそんなもんさ」とニヒリズムに陥るのではなく、「それでも歩いて行こう」という前向きなメッセージが込められていると思う。

最後の短篇『花粉・受粉』にこんな言葉がある。


『リウ先生が白い歯を見せて笑い、すっと息を吸うと、まるで呪文を唱えるように言った。悪い出来事もなかなか手放せないのならずっと抱えていればいいんですそうすれば、「オセロの駒がひっくり返るように反転するときがきますよ。いつかね。・・・」』


悪いこともいつか終わる、それまで我慢して「終わる」のを待とう、

ではなく、「それも抱えて生きる」。

そうすれば、悪いことがいつか「反転」して、見え方が変わるかもしれない。

人生はすごろくみたいに、一直線にゴールに向かい過ぎ去った災難に出会うことはもうない、なんてことはなく、

オセロみたいにいいことや悪いことが反転しながら、停滞することなく進んでいく。

悪いことがいいことになり、また悪いことになる。

それでも、少しずつ進むことで、少しずつ前を向いていける。

そんなことを教えてくれる1冊だった。


私は空を見るのが好きだ。

午前中の青く澄んだ空を見ると、自然と息を深く吸い込んでしまう。

雲の動きが面白く、何時間でも見ていたいと思う。

でも雲行きが怪しくなり、雨が降ってげんなりすることもある。

太陽が沈んでいき、刻一刻と変わる空模様に魅了され、

夜空に浮かぶ月に目が離せなくなる。

ふと空を見上げると、今までの思考がリセットされ、肩の力が抜ける気がする。


うつろいゆく空にうつろいゆく人生を重ね、

自然の流れに身を任せる。

そんな想いも、このタイトルに込められている気がする。





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