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青い、青い、水の中から、今日も祈りを、

 かつてなく幸せをたっぷり分けてもらえる結婚会見だった。
 私は憧れの人に魅了されてから、もう今後男性と付き合うことはないかもしれないな、と思っていたが、そうだ、自分は性別以外の人間の美しい部分に惹かれるのだった、と思い出すことができた。というくらい山里さんも蒼井優ちゃんも(しずちゃんも)すてきな心を垣間見させてくれた数十分だった。沢山きゅんとしたし沢山笑わせてもらった。
 こんなふたりに憧れるな、いつかこんなに想い合えるパートナーと出逢いたいと思ったし、日本中に同じ想いの人がいっぱいいるはずだ。

 でも、あのふたりの超愛おしい輝く笑顔はどこかショーウインドウの向こう側の宝石のようで、その理由はあまりにも自明、自分は異性愛者じゃなくて、今後誰とどこで恋に落ちるかわからない、相手は男性でないかもしれなくて、日本国憲法によると、婚姻は「両性の合意のみに基づくもの」であるらしい。何故かこの国においては、自分はあの幸せに手が届かないのかもしれないという、実際にウインドウが存在しているという、事実。
 セクシュアリティを自認する勇気を持ったことは私にとって自由の獲得の象徴のような出来事で、自分にも自覚させてくれた憧れの人にもとびきりの感謝を抱いていて、全てを朗らかに表明して生きると既に決心していて、それは私にとって超喜ばしいことで、それでも。ガラス越しでも彼らの煌めきは十分に愛おしい、それでも、心がちくっと痛む自分がたしかにいる。

 でも痛みを覚えるのが自分だけなら全然いい、自分ひとりの海外逃亡は簡単とはいかずともそこまで難しくないし、結婚=幸せっていうのも超古い価値観だし、だけどやっぱりツイッターのTLには同じ痛みが散見されて、見えないところで毎度毎度毎度毎度心を痛めている人が実は沢山いることなんて容易に想像できる。

 別に私じゃなくたって、胸がきゅうっとしない人はいないと思う。
 幸せな報せを百パーセント心の奥底から喜ぶことができない悲しみと罪悪感を、今日初めて知った。その重さは、自分ひとり分なら抱えて生きられるけど、この社会に沈殿するその悲しみの総量に一度思いを馳せてしまうと、何だか底無し沼に溺れるような心地がする、ゆらゆら陽光のきらめく水面はとっても遠い、錨に足を囚われて息ができず、しゅるしゅるとたち上っていく気泡を眺めることしかできない、この無力さ。
 
 半年間、思想もセクシュアリティも何にも隠さない、容姿やSNSでなるたけ表明してきらきら生きる人の鮮烈な生き様だけを見つめていた。ガラスを法の棍棒ですでに破った国の人。彼女をよく思わないコンサバな人がいることも聞いたけどそんなのごく一部だった。「そういえば自分の母国はこんなんだったな」と、湿っぽい空気による不可視な締め付けが自分の中に戻ってくるのを感じている。
 あの輝きに魅せられるまま逃げてしまえれば良かったのかもしれないけど、私はあと2ヶ月で日本に帰って、少なくともその後2年は日本で暮らす。初めて祖国で表明して生きる期間、同じ境遇の人間と沢山出逢いたいし、いろんな話をしたい。でもそれによって抱える悲しみもきっと増えるよ、と直感が囁く。今、日本のセクシュアルマイノリティの人たちの声をツイッターやyoutubeで拾って聞き始めていて、もう既にその兆候を感じる。データを知るのと顔を見て話すのは全然違うから。彼らは、私は、友人の結婚式に出るときどう思うんだろう、今日の私みたいに、喜びと切なさの狭間にゆっくりと沈殿する心地を味わうのだろうか、それとももっとずっと鋭い痛みを覚えるのかな。

 愛は、人の一生の核になり得る。他の人と同じように愛を誓いたいと思うことは、水に沈められて酸素を吸わせてくれと願うのとさして変わらないだろう。私は自分に嘘をつくのをやめたことで、日本社会においてはえら呼吸のできない魚になったらしい。嘘をついて生きるくらいなら同じ境遇の人と同じ足枷を食らった方がよっぽど良いが、それでも息ができないことに変わりはない。いつになったらあのガラスの向こうの煌めきを、水面の向こうの陽光を、享受できるようになるのかな。現状では、実際に海を渡らないといけないわけで。今日も今日とて、水中からぽこぽこと、泡のようなか弱い言葉を吐くことしかできない。
 でも、悲しみを共有できることを嬉しくも頼もしくも思う。当事者でないような顔をして地上から水面下を覗き込んでいた頃よりは、今のがよっぽど生きている。どっちにしろちょっと苦しいなら嘘をつかないで生きる方がきっとマシ。あと、いきなり海外に逃げられるタイミングじゃなくて良かったとも思う。ちゃんと同じものを背負って抱えたいという覚悟、それが自分を正面から認めるってことなんだろう。

 こんなことを思い始めたのは、私の心と身体が帰る準備を始めたってことなのかもしれない。地獄のような灼熱の東京で、結婚する権利どころか、スーツパンプス黒髪透ピしか認められない日々が待っていて、私は自我を保っていられるのかな。鼻ピアスの国連職員も、銀髪の憧れの人も、オープンゲイのUNインターンの友人も、眩しい彼らが同じ世界で息をしていることを絶対に忘れない、けど、帰国のその日までちゃんと毎日考えて勉強して友人と話し続けて、自分の中のプライドをもっと確固たるものにしておかねばと、今日も覚悟を決め直す。

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