見出し画像

私がマリーンズを好きになった理由~日本一に寄せて(2010年11月15日記)

それは1995年のこと。いっしょうけんめい追いかけてきた音楽というカルチャーが、どうにもこうにもツマらなく思えてきたときに、イチローがさっそうと登場。少年時代に少しだけハマった野球というものに再度目覚めた。

90年代の球界には、80年代までの球界風情(ふぜい)、パンチパーマとセカンドバッグな、昭和の匂いがまだ残っており、それとの対比で、イチローがキラキラと輝く新しいムーブメントに見えた。

ただ、選手ではなくチーム全体で見れば、やはり、どこもかしこも昭和な香りがして、思い入れようにも、そのことが強烈なネックとなった。

その中で、千葉ロッテマリーンズがそういう昭和臭からもっとも遠いところにいると感じた。イチローが属するオリックス・ブルーウェーブも昭和臭弱めだったが、神戸ということで地理的に遠かったことが敗因。

千葉ロッテマリーンズのファンになろう。

バレンタインがいて、伊良部、ヒルマン、小宮山の三本柱。初芝、堀、フリオ・フランコ。ピンストライプのホーム用ユニと、グレーのビジター用ユニ。それらすべてが、ずいぶんとソフィスティケートされているように見えた。

ここで軽く「ソフィスティケート」という言葉を使ってみた。もうすこしコトバを継ぎ足すと、歴史のしがらみなく、過去から自由で、その分ちょっと軽薄短小で、カラっと明るく、そしてなによりも若々しい――そんなイメージ。

つまり「オリオンズ的」「川崎的」なるものとは無関係に見ていたのだ。よく「川崎時代からのファンですか?」と質問されるが、そんなときには毅然と「いえ、幕張以後なんです」と答えることにしている。

2010年、千葉ロッテマリーンズ、日本一。05年も格別だが、今回も感無量である。ある意味では今回のほうが強くココロが揺さぶられた。

話は変わるが、私のいちばん好きなコトバは「快活」。すべては快活でなければならない。ActiveやPositiveに、もうひとつComfortableの意味が入ったコトバ、快活。

吉田拓郎は《ビートルズが教えてくれた》という曲で歌う――「もっと陽気であっていいじゃないか」と「ビートルズが教えてくれた」。

そう。ビートルズはそういう価値観を世界中にまき散らしたんだ。そして、明るく自由な方法論で、明るく自由な方角へ、世界を導いたんだ。ここを分かっていない評論家が多すぎる。

まずは笑ってフィールドに立とうじゃないか、いい球が来れば初球か打っていいじゃないか、場合によってはノースリーから振っていいじゃないか、8回終了4点ビハインドでも下を向くんじゃない――。

でも最後の最後は、バットをギリギリまで短く持って、渾身の力で速球を振り抜き、前進守備のセンターを越える予想外の長打で、一気に三塁まで駈け抜けるんだ……そして最後は、応援団といっしょに肩を組んで、笑顔で、大きな声で歌うんだ――。

誤解のないように言っておけば、昭和の野球、眉間にしわを寄せてコツコツと攻めていく野球も大好きだ。ただし、もうここまでくれば、野球は人生観そのもの。私自身が「快活」に生きることを選んでしまったのだから、野球にもそれを求めさせてもらうよ。

繰り返すが――歴史のしがらみなく、過去から自由で、その分ちょっと軽薄短小で、カラっと明るく、そしてなによりも若々しい――そんなことをいちばん大切に考える人生を歩むことに決めた。だから千葉ロッテマリーンズなんだ。だからマリーンズの奔放な若者たちの闊達な活躍にシビれるんだ。

画像1

西岡剛がメジャーに行くという。彼は今季のMVPだと思うし、その初本塁打を富山アルペンスタジアムで見たという因縁もあり、マリーンズの中で、もっとも思い入れがある選手である。しかし私は引き留めたいとは思わない。

西岡剛の後も、また、まだ見ぬ快活な若者が出てきてその穴を埋めてくれよう。そして健全な新陳代謝が行われ、さらに快活なマリーンズになり、眉間にしわを寄せる野球を高らかにあざ笑う。

それが、マリーンズ。私が好きな、マリーンズ―――私がマリーンズを好きになった理由。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?