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須坂キラビトvol.13 味噌そして糀文化を世に残し、伝えていくために。バレエに青春を捧げた人生の挫折で見えてきた『手間をかけること』の大切さとは。

地域おこし協力隊のーすがお届けする連載「須坂キラビト」は、須坂市に関わるキラリと光る情熱を持つ人をテーマに、活動のきっかけ、これまでの苦労や未来の活動についてもお話を伺います。

第13回目は糀屋本藤醸造舗の鈴木はるなさんを取材しました!

鈴木はるなさん(以下はるなさん)
村石町出身小中高までを須坂市で過ごし、高校卒業後にバレエの留学でオランダへ。オランダの王立芸術専門学校のバレエ課で2年半過ごし、その後スイスのセミプロバレエ団に半年在籍。その後、介護職を経て本藤醸造舗に入社。現在5代目を承継するため、ネット通販事業を中心に工場管理なども日々勉強中

青春時代をとことん費やしたバレエ。そして別れ


――――芋煮会のお味噌ではいつも大変お世話になっております!もともと、はるなさんにお味噌の相談をしたところからスタートしました。はるなさんがここで働く現在に至るまでの経緯をお聞きしたいです!

『その節はありがとうございます。私はここ(本社)が実家でここで生まれ育ちました。親からは「家業はいいから好きに生きなさい」と言われていたこともあり、幼少期からずっと続けていたバレエで生きようと、ヨーロッパに留学もしました』

――――高校卒業後に単身ヨーロッパで留学は凄い思い切りです。不安はなかったですか?

『バレエしか本当にやってこなかったので、不安はありませんでした。2年半の留学後は実業団に所属しバレエを続けていたんですけど、半年でケガをし、治療のために日本に戻ってくることになりました。ヨーロッパに戻るつもりで籍も残していたんですけど、ケガがなかなか治らないことや日本の居心地の良さもあって、潮時かなと思い、バレエを辞めることにしました。』

――――海外まで挑戦して辞めるというのは、よほどのケガだったんですね。その後の生き方も大きく変わりますね。

『そうですね。ずっと小さい頃からバレエ漬けの日々だったので、バレエの無い生活なんてまったく考えられませんでした。でもバレエ以外で何をしようと考えたとき、しっかり自分の心に向き合いたい!と思い、もともと興味があり好きだった「人と話すこと」「昔話を聞くこと」が出来る介護の世界に飛び込むことにしました』

――――そこはまだココ(本藤醸造舗)ではなかったんですね!

『はい、本業は本当に一切頭にありませんでした(笑)高山村の介護施設で8年程働いていろいろな経験を積ませてもらいました。小規模の施設だったので、利用者とも密な関係を作ることが出来たし、そこで携わった人と今でも仕事を一緒にさせてもらってます。地方らしいご縁ですね』

商品のすべてに愛情を持って

大きな転機。営業マンだった夫の入社と子育て


――――介護職の後、ここに入る転機は何だったのでしょうか?

『実は結婚を機に、夫が“営業マンとして家業に入りたい”という話をしてくれたんです。ちょうどお店も営業人材が不足していて。そこで初めて家業のことを考えることになりました。実は夫の方が私より入社が早いんです(笑)私自身、3姉妹なのですが姉妹だれも家業は継いでいませんでした。長女だったので何となく、継ぐなら私かなという思いはありましたが・・・』

――――本当に全く継ぐという考えが無かったんですね!

『そうなんです。その後も結局は介護職を続けていたんですけど、2人目の子供が生まれたタイミングで介護職を辞めることにしました。働くことが好きだったので、ここだ!と思い、家業を継ぐ覚悟で入社しました

――――子育て期間真っただの中での挑戦。苦労も多かったのでは?

『育児に関するところでは、とにかく身の回りに居る人に頼らせてもらって何とか乗り越えることが出来ました。そもそも育児がちゃんと出来たかはわからないんですけど・・・。周囲の協力で何とかやってこれました。最初は業務もネット通販など内部の仕事を中心にやっていましたが、子供も少しづつ手がかからなくなってきたので、今後は工場管理や製造に携わっていく予定です。』

小さい頃から見ていた“糀屋”の世界


――――ここで生まれ育ったということは小さいころから見ていた景色もあるのかなと思います。

今、日本でも和食の文化が衰退していて“糀”の需要もどんどん減ってきているんです。知り合いの会社など毎年必ずお店が無くなっていく、そんな業界になってしまいました。昔はPRせずとも文化として買ってもらえていたものですが、今はそういうわけにもいきません。もっと根本の“発酵文化”を絶やさないようにするための工夫や活動もしています

――――工夫されているのは小学校などでの食育・体験でしょうか?

『はい、子供たちや地域の人に味噌づくりをしてもらう活動もその一つです。日本の食文化は多様化してきていて、和食は今まで家で食べることができる、当然のものだったけど今は“伝えない”と残っていかない文化になってしまったと思っているんです。普段の食事から発酵食品に触れている子供達を増やして伝統的な食文化に親しんでいないと、業界全体がどんどん苦しくなっていくので・・・ここにある多目的ホールを使って、地域の方にみそ造り体験をして頂いたり。発酵文化を伝えるのとは別でコンサートやワイン教室なんかも開催しました。普段はピアノ教室にも使ってもらったり、南佳孝さんが来てコンサートしたこともあるんです。即完売だったとか(笑)』

――――とても糀屋さんと思えない取り組みですし、業界全体の将来を見据えた活動をされているんですね。

『社長もここで仕事が出来ているのは“地域の皆さんのお陰だ”ということを強く口にしていて、ただのお店じゃなく地域の方とも触れ合える場所にしたいという想いも強かったそうです。あとは音楽とか芸術が好きな家系なので、自然とフィーリングで「こういうことをしたい!」というところもあったみたいです』

店内の温かさ、ぬくもり。レトロな家具がまたその雰囲気を盛り上げてくれます。

信州芋煮会でお馴染み!特選味噌・玉造味噌の秘密。

――――そろそろ本藤醸造味噌の秘密について聞かせて頂きます!

『弊社の味噌が支持される理由としては、これはどこの蔵も同じなんですけど「蔵付き酵母」のお陰なのが大きいんです。蔵付き酵母っていうのは“蔵に住んでいる酵母(菌)”のことで、それぞれの蔵に独自の酵母が住んでいると言われています。
この酵母が味に大きく関わるという研究結果も出ていて、同じ原料で同じ配合のものを仕込んでも、それぞれの蔵に住んでいる酵母によって味が変化するんです。特に弊社は味噌を仕込む際に木桶を使用しているので、そういった有用な菌がより住みやすい環境でもあると考えています。ほかにも原材料は県内産にもこだわっているんですが、どうしても県内産だけでは調達できないものも出て来るので、それは“国産”としてこだわっています

定番の”特選みそ”何にだって合ってしまう。そんな味噌だ。


――――そうだったんですね。それがあの美味しい“特選味噌”を生んでいるんですね。作り方などにも一工夫あるのでしょうか?

『味噌自体はどこの会社もほとんど工程も原料にほとんど同じだと思うんです。ですが、私たちは大手メーカーと違って、大量に商品を作れるわけではないのでそれを特徴にして、製造工程に敢えて非効率な人の手を残しています。それは「温度管理」の部分です。今は機械によって自動化されているメーカーもありますが、弊社は人手でコンディションを見極めて温度管理をすることで、人にしか出せない風味を出すことが出来るんです。自然の温度に左右されながら、人の手で熟成させるということが大切だと思っているんです

――――世の中、効率化が何かと叫ばれていますが、非効率と思われる部分が重要なこともありますよね。

『一昔前は安いものを多く届ける。という時代でしたが、今はモノの価値を皆さんがしっかりと感じて買う時代。だからこそ、私達も評価されるようになってきたし、今の時代が後押ししてくれる部分も少なからずあると考えています』

とにかく濃厚で奥深い、僕は”特選みそ”と合わせる派です

糀が生んだヒット商品!甘酒


――――実は甘酒もすごい本藤さん。2022年度には県知事賞も受賞されました。そんな甘酒について教えてください。

『糀の商品の1つで、昔から作っていたんです。この甘酒に使われている糀も温度管理で差が出るんです。私たちはそこも人がやっているからこそ、この味を出せると思っています。糀の差はプロが見れば見た目でわかるくらいで、機械でも一定の味までは美味しくは出来るんです。でも、それ以上の良質なものを作ろうと思うと、人の手がどうしても必要になるんです。時代とは逆行しているかもしれませんが“糀屋”として、良いものを届けるために非効率な部分も残してやってきて、手間暇かけてできたものの味わいの違いが、今回評価された理由だと思っています』

――――ありがとうございます。それだけ世の中に良いものが届けられるのが羨ましいです。

『このあたりは私達が“良い”と思ってやっていることで、全ての消費者にイコールの話では無いんです。時代でニーズも変わるし、弊社としては今までのベストをずっと保ってきていますが、その良さをうまく伝えられないというもどかしさもありました。社員でブランディングの勉強もしたりSNSなんかも活用しています。御年配や昔からのファンの方には配達で顔を出すことも続けています。宅急便で送ればそれまでなんですが、やっぱり直接会ってお茶を飲みながら感謝を伝えることを無くしたくないなと思っています

【おわりに。】
――――定番コーナーです!「夢」を教えてください!

『ここを継ぐって決めたときから、強い使命感をもってこの仕事をやっています。私の代で例え家業が終わったとしても、ここに糀屋があったという事実をしっかり残していく。私のバレエの恩師の先生が90歳過ぎなんですけど、今でもバレエを広める活動をしているんです。私もそんな風になりたいと思っていて、我ごとだけじゃなく業界全体を考えて私自身が何が出来るか。そんなことを考えて実行できる人間になるのが私の“夢”ですかね。まだまだ未熟ですが、糀屋本藤の歴史でも“女性社長”は初めてなので、色々とチャレンジしていきたいです』

――――はるなさんなら実現できそうな気がします、そんなパワーを強く感じました。ロングインタビューありがとうございました!

ロゴが木樽を想像させる。渋くてかっこいい。

【のーすレコメンド】
特選味噌、玉造味噌
※芋煮会でもおなじみの味噌。特選味噌8割に玉造味噌2割を入れるのが、のーす風。

【のーすレポート】
はるなさんとの出会いは須坂スイーツフェスティバルでした。
芋煮の味噌の調合が上手くいかず「どうやったら美味しい芋煮を作れるのか?」と真剣に悩み、はるなさんにアドバイスを頂いたことがきっかけでした。そこで出会った「特選みそ×玉造みそ」というジョーカー。
翌月の芋煮出店では爆発的に売れて見事に昼過ぎには”完売”という結果に。
今でこそ人気の”信州芋煮”もあのアドバイスと味噌無しでは語れないんです。
そして、モノづくりに対する実直さと妥協をしない熱い気持ちが伝わったかなと思います。私と同い年で挑戦を続けるはるなさんに私も負けじとチャレンジしていきたいと思います。
時代の変化をポジティブに捉えるのがすごく印象的でした。

今度またゆっくりお話ししましょー!

【この記事を書いた人】

近影w

のーす

1986年7月3日 石川県金沢市生まれ
2022年8月神奈川県川崎市より須坂市に移住し妻と二人暮らし
現在、須坂市地域おこし協力隊として活動中
趣味:レザークラフト、野球、DIYなど
好きな歌手:吉川晃司、氷室京介
主な活動:空き家バンク、信州芋煮会
夢は須坂市の特産品で6次産業の企画・開発・営業で起業すること


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