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じぶんだけの“好き”


言葉、というものが好き。

自覚したのは、美術の短期大学に通っていた19歳、卒業制作に頭を抱えていたときだった。

グラフィックデザイン(広告など主にDTP)を学んでいた当時は卒業制作に本を作りたいな、とだけ漠然に思っていて。
同級生と自分の実力の差に悔しくて虚しくて悲しくて、就職活度も並行してるから、ひたすらに焦りばかりが込み上げていた夏だった。

素敵なものを作りたい。
だけども、自分には何もないから何も生み出せない。
このままグラフィックデザイナーになれるのだろうか、いや、なっていいんだろうか。

あの子はいいな、絵が上手くて。
あの子はいいな、あの子だけの絵が描けて。
あの子はいいな、いろんなデザインを作れて。
あの子はいいな、センスがあって。

ずっとずうっと、人を羨ましがってばかりだった。
(正直、それは今もなにも変わらない。)


自分のこれまでにも、未来にも自信がなくって
困り果てていた時に、恩師が希望をくれた。

「卒業制作は、各自の好きなものからアイデアを拾いましょう。」

グラフィックデザインにおいては、自分の好き嫌いの前にターゲット層を大切にするので“自分の好き”を思い切りぶち込むぞ!という作品作りの姿勢は、高校生以来だった。

正直、そうやって言われたところで
「私の“好き”ってなんだ?何を思っても誰かの真似みたいな気がする。どうしても魅力が出せる気がしない。」
といった別の悩みが出現したりもした。

けれども1ヶ月程かけて、私は“自分の好き”と向き合った。


何が好きかなあ〜〜
やっぱり音楽は好きだな。歌手ならaiko、吉澤嘉代子がいいなあ。漫画だったら3月のライオンが1番好き、爪先の宇宙もいいなあ。タイトルの決め方だったり台詞がいいんだよなあ。あとは、ポスターを見るのが好きだなあ、グラフィックデザインを学んでいることは関係なく、好きだなあ…


と、沢山考えた。
沢山考えた時に、本当にふと思ったのだ。

“あれ?私、もしかして全部、好きなところに共通してるものがある気する?”

最初はなんだか分からなかった。
ただ、好きな理由を思い返したとき、そしてこれまでの人生を振り返ったとき。

“あ、言葉だ。”

と、本当にストンと何かが落ちたような感覚になった。

これぐらい周りのみんなも好きかもしれない、と思い高校からずっと一緒にいて、同じく卒業制作に頭を悩ましている友達に何回も確認した。

私って、言葉が好きかもしれない。
誰かを好きになる時も、何かを好きになる時も、言葉遣いにとっても惹かれるの。
逆に、嫌いになる時も苦手になる時も全部、言葉遣いが嫌な時だった。
“なんであの子はあんな言い方しかできないんだろう?”って何度も高校生の頃、愚痴ってたよね。


ああ、私は言葉を見るのも言葉を聞くのもどれもこれもが好きなんだなあ。
そう思った。


すごくシンプルな気づきだったけれど、私はそこで
“私だけの自分の好き”を見つけた気がしていた。

誰かの真似じゃなくて、自分の。

絵の才能もなくて、デザインの技術もなくて。
他の子よりも秀でた魅力なんてどこにもないけれど。
他の子よりも、ちょびっと私の方が、言葉が好きだ。

だから、この“好き”を力に変えて、作品を作らなきゃ。


そう思った。

卒業制作-ミルクのカーテンゆれる音
卒業制作-展示のようす


こうして生まれたのが、19歳の頃に作った卒業制作。


若さゆえの、とびきり自分だけの好きを詰め込んだもの。


今見ると微妙に恥ずかしいものもあったりする。
(若さゆえに!若さゆえにね!)

けれど、この時の私にしか作ることのできなかった大事な宝物。

これを作り上げた時に、私はきっとこれからもずっと、言葉とは、一緒に生きていくんだと本気で思った。

もうすぐ25歳の私、どうなっているかというと
微妙に遠回りをして今、すこしだけグラフィックデザインをしている。

言葉に関する面白いことには、まだ出逢えていない。

noteって言葉の宝庫だと思うけれど、実はなんだか自分には高尚なものな気がして、ずっと手を出せずにいた。


けれど、もっと気楽に、ほどほどで、ぼちぼち楽しくやればいっか〜と、ふと思ったので、始めてみた。


とりあえず自分が楽しくて好きだったら、それでいっか。という気持ちで。

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