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創造の源泉

「社会はフールで溢れている。」

これは私の社会への提言であり、信念でもあります。

フールとは、「愚か者」「バカ者」という意味ですが、私はもっとポジティブに捉えており、「夢や理想に対し純粋な心でぶつかっていくバカ者たち」と敬意を表しています。ジョンレノンやオノヨーコ、スティーブ・ジョブズ、細野晴臣、みうらじゅんなどが、私の中では愛すべきフールにあたります。

いまの日本の社会には「フールが足りていない」と私は思います。大人も若者も、東京も日本も、なんだか退屈で窮屈に感じるのは私だけでしょうか?もちろんそうではない人や事も沢山あるが、なんだかんだ「右へならえ」な習慣が染み付いてしまってるなと残念に感じています。

「ま、こんなもんか」。問題はここにあると思っています。人は段々とその状況に慣れていく。その状況がたとえ悪化してようとも。「茹でガエル現象」というヤツであります。しかし、人は、社会は、もっと創造性に溢れているはずです。そういった「ま、こんなもんか」を私は「躊躇」と捉えています。「躊躇」とは「決心が定まらず(揺れて)、ぐずぐずすること。ためらうこと。」と辞書に記されています。

では、その「躊躇」をどうにか超える方法はないのか?それが「ロマン」であると私は考えています。
私の「ロマン」の定義は「躊躇を優に超える熱源」としています。では、私のロマンはどのように湧き立つか、簡単にお話させてください。

私の頭の中は大きく2つの思考が存在し、常に行き来しています。ひとつは「デザイン」、もうひとつが「フール」であります。
まずは「デザイン」についてですが、これは今まで私がデザインの仕事を20年程続けてきた中で、それなりの美意識が生まれ育ち、ある意味での「円熟」に近づいてきた艶っぽい部分と捉えています。
もうひとつの「フール」は、幼少の頃から夢を見たり憧れたりといったロック魂から培われた「童心」の愚か者の部分でああります。この両極端を行ったり来たりすることが、私にとっての「創造の源泉」であり、ロマン創造であると考えています。

そして、その「ロマン」が熱く湧き立つ瞬間が、俗に言う「ゾーンに入る」といった感覚に近しい瞬間です。私はギターを弾くのですが、バンド仲間と演奏中に、稀にその瞬間が訪れるときがあります。別にうまく弾けた、とかではないのです。なぜたか妙に気持ちがいいのです。強いて言うなら、妙な一体感と開放感が合わさる瞬間と言いましょうか、まさにライブ中とかに起こりやすい現象です。しかし、そんな瞬間は簡単には起こらないですし、敢えて起こすのも難しいものです。

話は変わりますが、「人が夢を見る」と書いて「儚い」という字になります。なぜ、人が夢見ることが儚いのだろうかと思考を巡らせてみました。私はもっと夢やロマンに希望を抱きたいと思っている人間です。なので「儚い」に対しちょっと見方を変えてみました。「人生夢の如し」という見方です。人生は夢のように一瞬で過ぎ去る儚いもの。そう考えれば、人生には「ロマン」が必要ですし、その「ロマン」を一生かけて育てながら追い続ける人生も悪くはないと思えるのです。

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