見出し画像

私のファッション履歴書-後編

私のファッション振り返り記録。前編はこちら。

幼少期から予備校生時代はファッションに使えるお金がない or 少なく、母好みの服がメインという状態だったが、晴れて大学に合格し一人暮らしを始めたことで、ファッションをより楽しめるようになった。

スライド2

大学・大学院生
地方の国立大理系学部で実習も多く、いわゆる赤文字系の子はほぼ皆無だった。貯めたバイト代で、zuccaやギャルソン、ツモリチサト等を買うのが楽しみに。普段着は青文字系雑誌を参考に、ジーナシスやページボーイの服が多かった。ハラコのゼブラ柄パンプスにピンクの靴下、エナメルのバレーシューズにボーダー靴下など足元で遊ぶコーデが好きで、カラータイツも沢山持っていた。店舗に電話して取り寄せまでしたアニヤハインドマーチの転写プリントバッグを擦り切れるまで使ったし、この頃からゆるモードカジュアル+個性的な小物で遊ぶコーデが好きだったかもしれない。美容院に月1で行き、ヘアスタイルも色々楽しんでいた時代。20歳のクリスマスに友達とお互いにピアスホールを開けたのはいい思い出。

社会人(20代)
メーカーの研究所に就職。都内の本社に行く機会も多く、キレイ目OLファッションの方がいい?と美人百花やGINGER等も読み始める。シフォンやとろみ素材のブラウスに黒のスリムクロップドパンツ、エナメルのバレーシューズが仕事の決めコーデ。当時カリスマ美容師ブームで美容師さんのファッションスナップも沢山雑誌で見られたので、プライベートだとそちらを参考に。サロンblocやSHIMAの方のお洒落が好きだった。今よりセレクトショップも多くて、特定のブランドを見るよりは色々なセレクトショップに行っていた。

社会人(30代前半 DINKS時代)
28歳で結婚し夫の転職に伴い退職→地方転職。同年代の同僚がファッションやサブカル好きで、お洒落話をするのがとても楽しかった。子供がいなかったこともあり、OJIコーデ(菊池亜希子ちゃんとか)やボヘミアン等流行りのファッションも一通り楽しんでいた。30歳を迎えた頃に、深津絵里さんがカラーはしない。ずっと黒髪という雑誌記事を読んで「40代になったら今度は白髪染めしなきゃだろうから、30代は黒髪でいこう」と決める。この頃が一番メイクが濃かったかもしれない。

社会人(30代後半 母になる)
結婚7年後に第一子、その3年後に第2子を出産。まず妊娠により体型が著しく変化し着たい服が着られなくなる。出産後は育児に翻弄され、自分の見た目に構う時間がなく(鏡を見ることさえなかった)、そのうち自分を整えるという気力もなくなる。第2子が早生まれだったこともあり生後2ヶ月で社会復帰。ますます時間がなくなり、洋服はショッピングモールに入っているユニクロか無印で子供服選びのついでに自分の分をさっと買うのみ(試着なんて無理)。流行りのノームコアを勘違いし、無地のゆるいニットに無地のパンツかデニムにスニーカー、ノーメイク、伸びきったロングヘアをお団子にして「これこそシンプル、ナチュラルコーデ」と思っていた。気が付けばピアスの穴が塞がっていた。

社会人(40代)
40歳になってすぐのこと。夫が撮ってくれた子供との散歩姿を見て愕然とする。覇気のない疲れ切ったおばちゃんがそこに。着古したダルっとした洋服、ぼさぼさの髪の毛、くすんだすっぴん…汚くはないはずなのに清潔感がまるでなく、何というかすごくよどんで見えた。

そして今
これじゃいけない…!何とかしたい…!とメイクを再開したり、数年ぶりに美容院に行ったり、服を見直してみたりしたものの、どれもこれも似合っていない気がして、果ては「私、何が好きだったんだっけ…」と完全に迷子になる。そんな中でイメコンに出会い、今に至ります。
後半の後半は、書いていくうちに辛くなってしまったな。別に誰に強制されたわけでもなく、誰が悪いわけでもないのにね。

今は、私のファッションや「らしさ」について、楽しく真剣に悩み中。次の履歴書はまたお洒落を楽しんでいる私のことが書けるようになりたい。なっているはず。

いい風がふきますように✤