ママがいない日。
朝起きたら、ママがいなかった。
でもいつもそうだ。ママはうちの中でいちばんの早起きさんだから、あたしが起きたときにはもう、お布団にはいない。
いつも一階のキッチンで朝ごはんの用意をしたり、床に寝ころんでストレッチしたりしてる。
だから今日もそうだと思った。
パパとおにいちゃんはまだぐっすり寝てる。
おしっこもしたいし、下に行ってみようとドアを開けたら、もわもわしたものがカラダにくっついてきた。
今日もあついんだなぁと思った。
階段を降りたら、ママはいなかった。
そうだ、思い出した。
ママがいない日が、きちゃったこと。
昨日、空港でバイバイしたんだった。
あたしはたくさん泣いた。
止めようと思っても涙は止まらなかった。だってさみしいもん。
ママはお友だちがいるフィンランドに行くって言ってた。
「すぐ帰ってくるよ」って言ってたけど、ママに会えるのは次の水曜日。今日はまだ木曜日。
あと6回も寝ないといけないのか。
「1週間なんてすぐだよ」
ママはそう言ってあたしを元気づけようとしたけど、あたしそうは笑えなかった。長いよ。ママのいない日は長いよ。
1週間が1日だったらよかったのに。
ー
「ママがいなくて寂しい」って言ったら
「ママもとっても寂しいよ」って言ってくれた。
「じゃあ寂しいのに、どうしてひとりで行っちゃうの?」って聞いたら
「ママはね、自分の目で見たり感じたりしたことを文章にしたいの。それをたくさんの人に読んで欲しいし、本にしたいの。それがママの夢なの。だからえみちゃんのこと大好きだし、寂しいけど行くんだよ」って言った。
わかるような気もするし、わからない気もする。
ママの夢は応援したいけど、やっぱりあたしは寂しいもん。
いつも寝るときには、手を握ってくれるママ。
絵本を読んでくれるママ。
お風呂に一緒に入ってくれるママ。
ぎゅーってしてくれるママ。
そういうママがいないって考えるだけで、涙がでちゃう。
どうしたらいいんだろう。
「寂しかったら泣いてもいい?」って聞いたら
「もちろん。泣くのは悪いことじゃないよ。ママだって寂しくて泣くかもよ」って言った。
じゃあ行かないでよって思うけど、
でも、ママのこと大好きだから、行ってもいいよって言う。
ママがいない寂しさは、ママが戻ってくることでしか埋められないと思うから
あたしはこの寂しいっていう気持ちの穴を抱えながら
お友だちと遊んだり、プールに行ったり、おじいちゃんとおばあちゃんなきてくれるのを待ったりしようと思う。
ママ、早く帰ってきてね。
ー
いよいよ、出発です。
前日に石川県の小松空港から、羽田空港へ移動。
普段寝起きはいいのに、もしちゃんと起きれなかったらどうしようと、不安な気持ちが湧いてきて、ホテルではあまり眠れませんでした。
瞼の重みを感じながら、今搭乗口近くのベンチに座って、搭乗手続きが始まるのを待っています。
娘の話は、私の想像です。
こんなこと思ってないかもしれない。
でも昨日、顔をぐちゃぐちゃに空港で見送ってくれた娘の涙を見ていたら、もしかしたらこんな気持ちなのかなぁと娘目線の文章を書きたくなったのでした。
寂しいっていう気持ちは、すごく辛いし、まるで心にぽっかり穴が空いたようで、あんまり味わいたくない感情の一つかもしれません。
私もできることなら感じたくないし、大切な人たちには感じさせたくない感情です。
でもこの気持ちを味わうことは、絶対に必要だって思います。
寂しいってことは、それだけそのモノやヒトを大切に思ってるってことだから。
それを認めるってことだから。
その寂しさを他のモノやヒトで埋めることは、もしかしたら難しいのかもしれない。
パズルのピースみたいに、そこにぴったりとハマるピースは、一つしかないのかもしれない。
他の何かで穴埋めなんて、できないのかもしれない。
私は娘に「ママがいなくても、他にも楽しいことがあるから大丈夫」なんて言ってしまったけど、それは間違いだったのかもしれないなって今になって思う。
私に娘の本当の気持ちはわからないし、当の娘も、今は分からないと思う。
きっと、何年か経ってから、あのとき、こんな風に思ってたんだって、ようやく話せるんじゃないかな。
それくらい、自分が何を思って、どうしてその行動をしたかを言語化するのは難しいと思う。
でもきっとそれが、いわゆる「気づき」になるのかな。
そんなことを思った搭乗5分前。
さぁ、これから13時間のロングフライトにいってきます。
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