「ほぼ日手帳」デビューして思うこと。
ほぼ日手帳は、発売して20年超のロングセラー手帳。
「なんかいいなぁ」「使ってみたいなぁ」と憧れを募らせながらも、なかなか手が出ない存在でした。
初めて目にしたのは、確か大学2年生のとき。
肩までのゆるふわパーマが似合う、小動物みたいな可愛い同級生が使っていて「私もあんな手帳を持ちたいなぁ」と思っていました。
と同時に、あの子には似合うけど、私は使いこなせないかもなぁ…とも。
当時の私は、無印良品の100円手帳をカスタマイズして使っていました。
それはそれで楽しかったし、手帳なんてそれで十分だと思っていました。いや、思い込もうとしたのかもしれません。
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大学を卒業し、社会人になってから今に至るまで、毎年手帳を買い続けています。だけど「手帳=今年は何を買おうかな?」という儀式になっていて、翌年も同じタイプを買うことはほぼありませんでした。(例外は多分、大学時代の無印良品手帳くらい)
なんとなく、違うタイプを選びたくなってしまうんです。
そんな流れで、2024年はどうしようかと考えていたけれど、節約大学生時代のイメージからか「ほぼ日手帳=高い」のイメージがありました。
だけどよくよく振り返ってみると、ほぼ日手帳と価格がさほど変わらない手帳を購入していたことに気づき
「それなら、一度試してみよう!」
とようやく2024年にほぼ日手帳デビューしたのでした。
ほぼ日手帳を使い出して、まだ半月足らず。それでも今までとの「違い」は感じられます。
1番の大きな特徴は、毎日のページに下の部分に「文章」が添えられていること。
糸井重里さんの言葉はもちろん、ヨシタケシンスケさん、田中泯さん、三谷幸喜さんなど、著名人の言葉が毎日ランダムに載せられています。
手帳って、自分の日々の予定や気づいたこと、これからやりたいことなどを書き記すためものだと思っていたけれど、自分以外の言葉がこんなにもふんだんに溢れる手帳って、他にあんまりないんじゃないのかなと思いました。
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自分の言葉の範囲なんてたかが知れていて、その範囲を超えるには偶然であれ、必然であれ、誰かの言葉が必要になる。
むしろ誰かの言葉があるから、自分の中から言葉が出てくる。
そして、過去に記された誰かの言葉や、書いたことすら忘れてしまった過去の自分の言葉が、今の自分を励ましてくれることだってある。
10分前の
1時間前の
1週間前の
1ヶ月前の
1年前の
10年前の
100年前の
誰かの言葉が。
そっか、私は今、こんな風に感じていいんだって励ましてくれることがある。
そういうきっかけというか、触媒が詰まった、まるで余白だらけの短編集のようなほぼ日手帳。
私は何を記録していくんだろう。
なんだかわくわくとソワソワが入り混じる今日この頃です。
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