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微分

微分も積分も高校生になって習います。

何だか怪しい手続きを経て、函数から新しい函数が得られるのですが、その手続き自体は「微かに分かる」かあるいは、「分かった積り」にはなれます。文字通り、微分・積分ですね。

函数とはインプットに対して、1つのアウトプットが対応する働きをいう。英語ではfunction(機能)というが、日本語では普通は「関数」と習う。もともと英語でのfunctionを中国語で函数(ファンシュー)と音訳したものを日本に輸入した際、「函数」という字を使っていた。しかし明治に漢字の整理が行われたとき、「函」という字が教育用漢字になかったので「関」という字に変わったという。今でも「函館」(はこだて)という字で使っているが、思えばそれ以外で「函」という字を使っている場面はまず見ないのではないでしょうか。functionはブラックボックスになぞらえればまさに「ハコ」なので「関数」より「函数」の方がイメージに合うと思っています。また悪いことに「xとyの関係」というときの「関係」と混乱するから関数は「関係のある数である」という理解になりやすい。

さて、函数fがあるとしよう。インプットとなる点aを固定する。点aとある程度近い点bを任意に取ってくる。この2点a、bの函数fによるアウトプットが、点bを点aに近づけることでいくらでも近づけることができるならば、その函数は点aで連続であるという。

fが実数から実数への函数であるとしよう。まず点aを固定する。点aと点bでの函数fの「変化の割合」が、点bを点aに近づける時の極限値が存在するとき、この極限値を点aでの函数fの微分係数という。その実数値はfと点aによって定まるので、f’(a)と書く。

さて点aに対してf’(a)という実数が対応した。この対応を函数fの定義域(インプットになる範囲)にして、それぞれの点で微分係数が存在するとしよう。この対応により新たな函数が得られたことがわかる。この対応x→f’(x)をfの導関数といい、その函数をf’と書く。

こうして、函数fから新たな函数f’を得る手続きが得られ、この手続きをfの「微分」という。

微分は「変化の割合の極限」という訳です。

なお、実数から実数への函数fが微分可能であればfは連続な函数とわかります。しかしこの逆、つまり、fは連続ならば微分可能である、というのは一般には言えません。

日常的な例を考えてみよう。例えば車の運転でのスピードメーターは、そのときの瞬間の速さを表示しています。一定時間の間の進んだ距離が分かれば速さは単位時間あたりに進んだ距離として計算できます。その時間間隔を極限まで短くしていくと、それに応じて進んだ距離もどんどん短くなっていく訳ですが、変化の割合そのものは一定の値に近づきます。その一定の値が「変化の割合の極限」で、つまりこれがその時刻における瞬間の速さであり、それがその時刻での微分係数になっている訳です。

さて、積分については「積和の極限」ということを考えるのですが、またの機会に書きます。


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