超能力について

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。

人には五感と呼ばれる感覚がありますが、私は生まれた時からこの感覚が人より2つ多く、7つの感覚を持っています。

私にとってはいたって普通の感覚ですが、周囲の人々は持ち合わせていない感覚であるため、この感覚を説明するといわゆる”超能力”だと思われてしまいます。
しかし実際にはそもそも「能力」ではありません。「感覚」なので。

私は人が幸福になるか、不幸になるかが分かります。
少し時間をもらえればその人の人間関係や可能性みたいなものも分かります。
前者を第七感、後者を第八感と呼んでいます。便宜上。

ちなみに”第六感”という言葉は使っていません。
昔シックスセンスという映画が流行ったことがあり、第六感という言葉が安易に使い回しされたため、第六感=幽霊が見える、みたいな誤解を与えてしまうからです。
なので6を飛ばして、7、8感と呼んでいます。
「呼んでいます」と書きましたが、別に誰に話すことも滅多にありません。本当に仲のいい人に説明する時に使うくらいです。
しかしこの『名前をつける』という行為は人間が発明したものの中でTOP3に入るくらい革命的な発明です。まじでやばい、これについてはいつか書けたらと思います。

第七感(未来がカラフルなあみだくじに見える感覚)

嗅覚が鼻の奥の方に感覚の受容体があるように、
第七感は脳みその下の土台のところに感覚があり、生き物の過去、未来、人生がカラフルなあみだくじのように見えるような感じの感覚です。

わかりやすいように”見える”と書きましたが、もちろん目で見るわけではありません。「脳の下のところで選ぶ(めくる)」感覚です。
ここの説明がすごく難しいのですが、表現で言うと
「脳の土台のところでめくる」とか
「脳の下の方で探る」とか
こういった言い方が一番当たっているんじゃないかと思います。

嗅覚がない人に、『匂いを嗅ぐ』という感覚を説明するとしたら、これを読んでいる人であればどのように説明をするでしょうか?

嗅覚がない世界なので、そもそも「匂い」という名詞がありませんし、「嗅ぐ」という動詞もありません。
「鼻の奥の方でその周囲の雰囲気を捉える」とか
「鼻の中でそれに漂っているオーラを吸収する」とか
こういう言い方になるのではないでしょうか。

さて、第七感ですが、
この能力を証明するのは実はすごく簡単です。
生徒会長になる人を当てるとか
野球部が大事な次の試合に勝つか、とか
友達の恋愛がうまく行くか、とか
そういうことを100%当てることができます。

大谷翔平が大リーグに行って成功するか、
アルゼンチンがワールドカップで優勝するか、
とかも全部当てることができます。
少し条件付きですが。

人生がカラフルなあみだくじのように見えるので、”その人”に今後いいことがあるか、悪いことがあるかどうかが分かります。
成功する人は黄色(本当は黄色なんて色はついていませんが、イメージがつき易いように便宜上、黄色と呼んでいます)の未来が近くにありますし、失敗する人は紫や黒の色が近くにあります。

なのでアルゼンチンの選手を全員第七感でやれば(めくれば)、ワールドカップで優勝するかどうかの未来が分かるわけです。
(テレビを通してはできないので、実際に会う必要があります)

第八感(その人と周囲の可能性/関係性が歯車のように分かる感覚)

第八感は、その人と、それに関連する運命が歯車のように説明できる感覚です。首の後ろのところに感覚があります。
体から離れる場所に感覚の受容体があるため、「背後霊?」「オーラが見えるの?」と勘違いされがちですが、違います。

そもそも背後霊だとしたら私じゃなくて相手側の首の後ろです。
感覚(受信機)が私の首の後ろにある話であり、捉えるのは相手の人生(第七感の延長)にあります。

きっと、、、わかりづらいですよね、、、すみません

第七感と第八感は、五感で言うところの『味覚と嗅覚』の関係性に似ています。風邪で鼻が詰まると食べ物の味がよくわからなくなるように、第8感無しでは第7感はうまく機能しません。
第八感だけだと「歯車の大きさは分かるけど、歯車の形とか、スピードとか、なんかよくわからなくなる」感覚です。

しかし第七感と第八感は明確に別のものです。
なのできちんと分けています。

なぜ突然noteでカミングアウトしているのか

私も結構な歳になりました。
どうして今更この感覚のことをカミングアウトすることにしたのか。
それにはいくつか理由があります。

私はこの感覚のせいで、多くの利益も得ました。
が、同時に多くのものも失いました。
恋人に気持ち悪がられたりもしましたし、友達も失いました。
人間を嫌いになりましたし、正直に言えば私より感覚が少ない人間のことを蔑んでいたこともあります。

感覚が多いことを、人と違うことがバレることにビビっていましたし、
物珍しそうな目で見られることが心底怖いと思っていました。
それは今でもあります。

それでも私がカミングアウトすることにした理由は大きく3つあります。
①死ぬまで隠すことはしたくなかった。
②同じ感覚を持っている人と死ぬまでに会ってみたいと思った。
③SNSをやってみて、身バレせずにこの感覚を有効利用する可能性を見つけた
この3つです。

私はこのブログに私の感覚を書き残し、
いつか同じように悩んでいる人
(孫とかにこの感覚が遺伝する可能性は少し期待していたりします)
がこれを読んで少しでも「自分は一人じゃない」と声をかけてくれればとも思います。

またいつか続きます。

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