眠る男(2)

「どしたの、急に」
祐介は突然変なことを話されて狐につままれたような顔をしていた。晩飯時に恋人がいきなり子供の頃に変な男が見えたなどと言い出すのだ。当然怪訝に思うだろう。

「でもほんとに見えたのよね。3歳くらいの時に見えたとかならまだしも、14歳の時だったからさ。子供が見た幻と言うにはあまりにもはっきりしすぎてない?」

「まぁそうだけど、佳奈って中二病患ってきてそうだもん。自分の中で作り上げた幻像が具体化しただけじゃないの?」

じつに冷静で腹の立つ男だ。
祐介、もといゆうくんとは同い年で大学で出会ったのだが、その時点で既に周囲から浮遊していた。私もそこまで重力に従える人間ではなかったので、まぁ浮いてる者同士仲良くしようやと思っていたら、いつの間にか引力が働いていた。

「しっつれー。じゃあゆうくんはどうなのよ。
そういうマカフシギ体験したことはないの?」

するとゆうくんは少し俯いて顎に手を当てる。
考える時の癖だ。
意外とごつごつしたゆうくんの手が好きなのだと伝えたら「別に。ただの骨」と返されたが
その日からハンドクリームを塗っているのを私は知っている。

しばらくするとゆうくんはこちらを向いた。「あー、そういえば変な女の人がいつも出て来てたわ。俺中学の時試験前いつも寝れなくてさ、浅い眠りの時によく出てきてたんだよね」

「私と一緒じゃん!なんだ、ゆうくんも中二病だったんだ」

「や、忘れてたんだって。
でもなんだ、こんなに出てきてたんなら覚えててもいいはずなんだけど」

「たしかにゆうくん暗記得意だもんね、不思議」

「…そういえば、佳奈のお母さんのお名前ってなんだっけ?」

ゆうくんがそんなふうに改まるのは珍しいので少し不気味である。

「え〜…大蔵だけど」

「それ、聞こえようによっちゃ『オクラ』じゃない?」

うっそ。

「えーでも、お母さんに話してもそんな人知らないって言うし、むしろ寝ぼけてんじゃないのって言われたけどなぁ、それ以来あの人見てないし」

「この俺でさえ忘れてんだから、人の記憶に残り続ける存在じゃねぇんじゃねぇかな。
きっと夢なんて現実に揉まれて消えるもんなんだよ、この世界じゃあ」

ゆうくんはたまに悲観的なのか楽観的なのか分からないところがある。

「でも今は出てきてないし、たまたまちょっと思い出しただけだからなぁ」

「…もしお母さんがその人が見えていたとして、そんな印象的なことでも忘れていっちゃうならさ、佳奈もいつか俺のこと忘れるんじゃねぇの」


「どうしたのゆうくん、今こうしてその、まぁなんだ、つ、付き合ってるんだから忘れるもなにもないじゃない」

仕方ないなぁたまには甘やかしてやりますかと思いゆうくんの頭に手を伸ばして撫でようとする。
その手はゆうくんの顔をすり抜けた。

「な、やっぱり俺たちもう死んでんだろ。いつか消えちゃうんだろ。どうして今こうやって話せてんのかも分かんねぇし、もう中学の時車に轢かれてんだよ」

「何言って、え?」
そっと、手を開閉する。ぐーぱーぐーぱーぐーぱーぐー、ぱー。透ける、戻る、透ける、戻る。静脈を確認する。冷たい。ただ生物が持つ温もりがない。

「俺たちもう忘れられる側なんだよ。見えない側なんだよ。夢に出る側なんだ、きっと」

そうゆうくんが言った瞬間に、目の前が真っ暗になった。あぁ、子供の時の悪夢みたいだなぁと思ってひんやりとした眠りについた。
目覚めると私はまばゆい光の中にいた。

「おう、人の子よ。久しいのう」

そこには私がかつて出会ったあの男がいた。

「あなた、あの時の…」

「おうおう、覚えておってくれたのか。
懐かしいのう、ここまで夢覚えがいいのはなかなかおらんわい」

男は感慨深そうに髭を撫でつけた。相変わらずの巨体に浴衣姿というなりがより異質感を放っている。

「あ!そういえばゆうくんはどこなんですか!?それにここどこ!なんで急にこんな…」

「あぁ、まぁ落ち着きなさい。と言っても無茶じゃが…それは祐介君のことかの。儂の妻が担当しておるわい。安心せい、すぐに引き合せる」

「ここは人ならざるものが棲むところでの。
それぞれに仕事が与えられておる。儂は魂を全うした人の子を案内する係でのう。ここに来るまでに迷わないよういろいろ下準備をするために夢に出るのじゃ。場合によっては少し記憶をいじったりもするんじゃけども」

「じゃあ…私はやっぱり…それに私のお母さんは…」

「あぁ、痛ましいが…お主と祐介君を咄嗟にかばおうとして、そのまま…今はここでの仕事を終え、ゆっくりと眠っておる」

私は途方に暮れた。一体何年の間私は死を受け入れられずにいたのだろう。母を置いて私はずっと現世にしがみついていたのだ。

「あなたの…名前、なんでしたっけ」

「儂の名か?儂はな…えっと、なんじゃったっけ、いちいち長いんじゃ…まぁ名というか眠る男とでも呼んでくれればよい、眠るのが仕事じゃからな」

私はどうやら死んでしまったらしい。
「なら眠る男、あなたについて行くわ。だって最後に見る夢くらいいい夢にしたいもの」

まったく夢なんてまやかしじゃのにのう、それが現実に影響を与えるというのじゃから人の子は解せぬわとブツブツ言いながらも渋々承諾してくれた。

「おせ〜よ。ほら、早く寝んぞ。」

ゆうくんも説明を受けていたようだが恐ろしく飲み込みが早い。
私はゆうくんと手を繋いで寝転がった。もちろん手に温もりは感じられないしこんな変なこといつか嫌になっちゃうかもしれないしそしていつか終わりになっちゃうかもしれない。

でも現世でだって辛いことたくさんあるんだ、
この光に包まれて夢を飛び回る方が楽しいかもしれないなぁなんて。

「おやすみ」
「おやすみ」
「絶対忘れないからね」
「一緒に回るんだから忘れねぇだろ」
「確かにそうだね」
「それじゃあね」
「また夢でね」

そうして私達は初仕事に出向いた。

おわり

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