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官足法 人の足をもむ

新年早々、人の足をもんでいた。
真冬なのにせっせともんでいたら汗をかいた。

あたりまえだけど人の足は自分の足とは違う。
抱えている悩みも違っていて、痛みの出方も多彩でおもしろかった。

話を聞いてあたりをつけて滞りの箇所を探っていくのがおもしろかった。

さらにおもしろかったのは、「骨折した場所だから足の小指はやめて」と言われたこと。
いつ骨折したのか聞いてみたところ高校生の頃だそう。
それは20年以上も前のことだった。

触れてみたら滞りが強くて少しの刺激でも激痛に感じるようだった。
その人の心が傷ついたときと怪我した箇所への反応が同じだったので、「過剰に守ろうとしてしまう」という意味では同じなのだと思った。

「痛み」との向き合い方には個性があらわれるのかもしれない。

子どもの足ももませてもらった。
と、いうよりも「もんで〜」といって足を出してきたのでもんでみた。
柔らかくてふかふかでいい足だった。
裸足で遊んでいて足が冷え冷えだったけれど、もみだして1分も経たないうちに足が温かくなってきて、本人が「あったかくなってきた〜」と言っていた。
素直な足だった。

肘や膝の内側にアトピー症状があるのだけれど、くるぶし周辺をふわっともんでいたら急に痛がりだした。
アトピーはやはりリンパ腺の滞りが強いのかもしれない。

そのあともしばらくすると「足もんで〜」とまたやってきた。
その子を見てると、もんでるとびろ〜んとなるから身体も緩んで気持ちいいみたい。


せっせと足もみをしていたら「仕事にしたら?」と言われた。
自分たちの家を建てたときも、結婚式の準備をしていたときも、同じく人から「仕事にしたら?」と言われた。

どうも熱がこもりやすみたい。
身体も熱がこもりやすい体質なので、もっと熱気は適度に逃していきたいところ。

仕事にしたら自分の好みのレールを敷きたくなるし、信念を曲げてまでやらなきゃいけないこともでてくるだろうからやりたくない。

人の足をもむもむのも趣味だからこそおもしろい。
「つらい症状を治してあげたい」という気持ちを抱える必要もないし、あくまで観察対象であるから、本人が足もみを続けようが気にならないで済む。
仕事じゃないので「うわ!ここひどいね!」とオブラートに包まずストレート反応できるし、「◯◯になったら楽になりそうだね」と薄情な希望も乗せることもできる。

住み込みで美容師修行をした叔母が子どもだったわたしに「手に職をつけとくといいよ」と言っていた。

あきっぽいわたしは手に職をつけることはできなかったけれど、別に職である必要はないのかもと最近思う。

「手に技をつける」でもいいのかも。
金銭と交換せずに、なるべくお金というものと距離を置いて暮らす方法はないものか?と以前から考えていて、それは人から必要とされる技を持っていれば少しは可能性があるのではと今は考えている。

観察できて楽しいから人の足をもむ。
待つのではなくて、こちらから声をかけていけるからストレスもない。

今年は20人くらいの足をもんでいこうと思う。

それと、内省が好きだったけれど、今年は腸の声(本音)を聞きたいので、思考時間は去年の半分くらいに抑えるつもり。
なのでnoteのペースは落ちるだろうけど、今年1年やってみてどうだったか試してみようと思う。

12月になってから次男がボルダリングにハマりわたしも一緒に通いはじめたので、官足法とボルダリングの相性も観察してみようと思っています。

これが今年の指標みたいなもの。

わたしは「思考するわたし」の視点を通さないと何も分からないのだけれど、今年は「思考するわたし=わたし」を抜いて物事を見れるようにしていきたい。

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