いつも心の片隅にあるスローガン

強い好奇心と達成欲のなさ

好奇心が楽しいに変わる。
必要だと自覚していることを必要に迫られて覚える。
どうやらわたしの脳みそはこの2つのタイミングでしか覚える気になってくれないようだ。

この一年で日常とは少し離れたところにある物事について考える機会が増えた。
また、自分の特性について掘ったりした。
そんなことをしてみて改めて思ったのは、わたしは目標を達成するなどといったゴールに全く興味がないということだ。

ノルマを達成しても達成感はないし、そもそも興味を持てない。
ただの数字でしかないし、その達成には終わりがあるようでない。
苦労して終えても、また何事もなかったかのような顔をして次のノルマがやってくることに違和感を覚える。

正当なゴールは数をこなし終えることなんだろうが、工程の中のひとつに拘りたくなってしまうし、何か楽しめればわたしにとってはゴールになってしまうため、会社勤めは自分の性質には合わないと感じる。

宝探し

人が何を考えどんな行動をとるのかに興味がある。
人はおもしろいほど自分と違う考えをしていている。
「この拘りは何がきっかけだったのだろう?」
そんな疑問が浮かぶとついつい観察を始めてしまう。
話したり観察することで、少しずつその人のことがわかっていくのがおもしろい。
けれどその人の一部を知ったからといって、その人を理解できたことにはならない。
すべては知り得ないだろうし、すべてを知る必要もない気がする。
知ったその人を受け止める覚悟も自信もないのだが、少しの時間でも共有できることがあったりすると喜びに変わる。
人との出会いはおみくじみたいなもので、引いてみないとわからない。
そして人を知ることは宝探しのようなものなのかもしれない…そんなふうに思う。
ときには苦行になってしまうこともあるのだけれど…。


人を知って自分を知る

人を知ると自分が見えてくる。
似ているところもあれば全く違うところもあって、優劣をつけるためではなく違いを知るために並べてみる。
ただ並べる。
互いの特徴を知るために隣に並べて、そこから何かに気づいて少しだけ理解していく。
それを自分自身に活かしていくこと。

カメレオン

一緒にいる人によって自分の色が変化する。
子どもの前では無邪気だし
口数が少ない人の前では少し話しかけて様子をうかがう。
おしゃべりな人の前では口数は少なく
聞く耳を持ってくれる人の前ではおしゃべりだ。
喜んでいる人がいれば一緒に喜ぶし
落ち込んでいる人がいれば気づかないフリをしていつも通りに話しかける。
そして、気持ちがガチャガチャしてしまう人には少し距離をとらせてもらう。


一緒にいる人によって自分の態度がガラリと変わる。
昔はそれが悩みでもあったけれど、これが自分の特性なのだと受け入れるようになった。
するとむしろ愛着がわくようになった。
どうしようもなく不器用で憎めないやつだと思えるようになった。
化学変化みたいなもので、相手が変われば自分も変わる。
だからどうしても均一ではいられない。


いつも心の片隅にあるスローガン

「安心・自信・自由」
これは子どもの人権を守るためのものだけど、大人にこそ必要なことのように感じる。
不安であっても、自信がなくても、不自由さがあっても、ひとまずこの言葉を元気よく言ってみる。
からだで表現してみる。
すると気持ちが歩み寄ってくれることがある。

自分が安定していると、まわりも安定していきやすい。
子どもが子どもらしく居られるようにするためにも、まずは大人が子どもらしさを思い出して、安心と自信と自由が実感できるようになるといい。
自分自身に大丈夫だと言えれば、他の人の言葉は関係ない。
大丈夫だと思えるならば、絶対大丈夫なのだ。
なぜなら自分に対してその信頼があれば大丈夫じゃなくても大丈夫になるのだから。
思い込めば思い込むほど揺るがないものになるだろうし、これは信仰に近いものなのかもしれない。

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たまたま幼稚園で講演会があって、わたしは参加しなかったのだけれど、子どもたちから話を聞いて、家で子どもたちと一緒にスローガンを唱えるみたら元気が出るし、場が盛り上がって楽しくなった。


それからなんとなく我が家の家訓のような位置づけにあるそんなスローガン。
ひとりでやっても元気が出るし、みんなでやると楽しいよ♪



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