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今日の山田君 〜思うこと〜 40

頭痛には抗えないのか?

2日間ほど頭痛に悩まされていた。
1日目は気持ち悪さもあいまって何をするにもしんどい状態だったが、どうしてもその日にこなさないといけない仕事があってどうにか気合いで乗り切った。

そして頭痛2日目は次男の誕生日でもあった。
夕方になっても良くならず、休んだからといって楽になるわけでもなかった。
いいかげん頭痛に振り回されるのに嫌気が差していた。
そんなとき、ラジオで聴いた三蔵法師の話を思い出した。

三蔵法師

三蔵法師の代表格である玄奘(げんじょう)は、経典を持ち帰るために陸路でインドを目指し、砂漠や氷山を越え、道中死にそうになりながらも旅をしながら学んだそうだ。

ラジオパーソナリティの方が「記録には残っていないけど、玄奘は死にそうになりかけたときに般若心経を唱えていたのではないか。」と言っていた。

砂漠で貴重であるはずの水の入った袋をこぼしてしまったときも、砂漠の中を彷徨っているときも、この苦しみに実体はないと信じていたのかもしれない。

般若心経の中心となっているのは、大乗仏教の「空(くう)」の思想です。
経典では、観音菩薩がさまざまな事象を例に挙げながら、すべてのものに実体がないこと(=空)を説いています。
これには、私たちの肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することを含め、ありとあらゆるものごとが当てはまるといわれています。
しかし、般若心経で説かれているのは、それだけではありません。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」という一節では、色(=目に見える物体)には実体がないと伝えたうえで、さらにそれゆえ空とは色でもあるともいい、ただ単にまったくなにも存在しないという虚無主義の考え方すらも否定しているのです。


わたしが悩まされている頭痛は本当に存在しているのか?

魔法の質問にハマっていたとき、よく自分に「それは本当?」と問いかけていた。

頭痛から抜け出せないと思っている自分。
それは本当に抜け出せないことなのだろうか?

待っていても治らないから自分から取りに行くことにした。
杖を使って背面のストレッチをしたり、身体を軽く動かしたりした。
それから、太極拳の動きを呼吸にも少し気を配りながらやってみた。
すると少しずつ楽になっていくのを感じた。
それから、頭痛が起こっていることを一旦忘れて、普段と変わらず過ごすことにした。
ちょっと気合いも必要だったけれど、気づけばいつの間にやら頭痛が治まっていた。


しんどいときも選べるのではないか?

しんどい目に遭ったとき、過去の経験からすぐに諦めてしまうことがある。
同じような状況だったりすると、またあのしんどいのがやってきたなと最初から諦めてしまったりする。


でも、それは前回のしんどいのと同じなのだろうか?
ちがう可能性はないのか?


疑うことで可能性が生まれてくる。
ほんの少しかもしれないけれど、望みが出てくる。
今回の頭痛で自分には小さくてもいいから希望が必要なのだということがよくわかった。

自分に問うこと。
自分を疑うのではなく、自分に確認してみること。
「もしかして勘違いしてない?」
「それってほんとなの?」
自分に訊いてみること。

そんなことを、またいつの間にか忘れたり思い出したりしながらやっていきましょっと。




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