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いつからだろう?好き/嫌いで分けなくなったのは

たぶんわたしには嫌いな人はいない。

会話のリズムが合わない人や、話がかみ合わない人や、近くにはいたくないなと思う人はいるけれど、嫌いな人はいない。

それはおそらく、強い違和感を感じた時点で一定の距離をとるからだと思う。
嫌いになるまで留まることはしないのだろう。

人とのちがいを知ることが好きだからか、相入れない特徴を持った人でも、それは拒絶するものではなくてその人の特性なのだと理解できるようになってきた。

わたしにとって受け入れがたい特性であっても、その人の背景を想像してみると、嫌悪するものではなくなっていく。

その人の弱さを感じるし、もがいて苦しいのだなと思うからだ。

だからといって手を差し伸べにはいかないけれど、自分のために相手を理解する。
理解すれば闇雲に怖がる必要も、拒絶する必要もなくなる。

考えてみると、好きとか嫌いも曖昧になってきてしまって、判断できなくなってきているかもしれない。
ワクワクするか、しないかが判断基準になっていて、好きなんて不確定すぎてあんまり信用していないのかも。
そのわりに自分では好きという言葉をたくさん使っているかもしれない 笑
あれこれ言っているけれど、きっとてきとうなヤツなのだ。

このてきとうさのおかげで楽しく過ごせている気がする。
いいことも、悪いこともすぐ忘れてしまう。
楽しければそれでいいし、あまり多くを求めない。
必要なら自分で探しに行けばいいし、助けが必要なら声をあげればいい。

求めすぎず、執着しなければ、何もなさそうな中に幸せがあることに気づくし、楽しいことは日常の中にも転がっているのだと分かるようになる。
楽しむために遠くに行く必要もない。
だって近くにもうあるのだから。

自分の呼吸に意識を向ける余裕と、
あとは楽しもうとする気持ちさえあればいい。
そうすれば見える世界が変わってくる。

周りを変えようとするよりも、自分の見方を変えてしまえばいい。
そうすれば、敵なんて存在しないし、嫌いな人も居なくなるのだから。


今日もあなたが心の安らぎと幸福感に気付けますように♪



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