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生きていたら会いたいなと思う人

吉田松陰がテーマのラジオを聴いてからというもの、すっかり虜になってしまった。

歴史どころか、わたしにとって学校の授業は苦痛でしかなく、楽しさを見出すこともしていなかったため、耳に入っていたとしてもこぼれ落ちていくばかりで、勉強は好きじゃないもののひとつだ。
だからわたしには知らないことばかり。

今回、このラジオを聴いたことで、こんなにひたむきな人がいたことに驚き、もっと知りたいという気持ちがわいてきた。
まずはネットで拾った情報をノートにメモしてみることにした。

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しかし、やってみたものの物足りなさを感じた。
細切れな言葉ではわかることが限られていて、吉田松陰とはなにものなのかがよくわからなかった。
ならば今度は本を読んでみようと、気になった2冊を購入することにした。

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届いたその日にその内の1冊をぱらっとめくってみると、手が止まらなくなり、気づけば最後のページになっていた。

気持ちが昂るのを感じ、ときには読みながら涙が出ていた。

分かり合えそうな人がこの世には存在するのだと、嬉しくなった。

会うことはできないけれど、迷ったときにはまた、目を通そう。
そのときに必要な言葉が目に入るはずだ。
そして、その言葉がきっと背中を押してくれるだろう。

そんなことを思った。



目が奪われた言葉をいくつか紹介します。



【結果じゃない】
大事なことは、
なにを、どう手に入れるかではなく
どんな気持ちを感じたいのかなのです。
たとえ手に入れたものが、どれだけ美しくて広い家だとしても、
住んでいる人がやさしい気持ちになれないのなら、
それは貧しい人生です。


【自分はどうあるべきか】
反求諸己。
「すべての問題の根本は自分の中にある」
どれだけ大きな計画であっても、
物事を動かす基本はここにあります。
計画がうまくはかどらずに悩んだときは、
外部に答えを求めることなく、
「まずは自分はどうあるべきなのか」
雑音から距離を置いて、ひとり静かに考えてみましょう。


【運が向かない人の考え方】
壊そうとするから、壊されるのに、
打ち負かそうとするから、打ち負かされるのに、
人を見下すから、人から見下されるのに、
そうとは気づかずに、苦しんでいる人は本当に多いものです。

そしてすべてを失いそうになってもなお、
その原因を作ったのは自分自身なんだって、
考えが及ばないのは、本当に悲しいことです。



【死ぬ気とはなにか】
「死ぬ気でやる」
口にするのは簡単ですが、意味はとても深い言葉です。
この言葉の意味を、人生の中で何度も反芻しているうちに、
「我慢すべき時」と「勇気を出してやるべき時」
「動くべきではない時」と「すぐに動くべき時」
この違いがだんだんわかってくるでしょう。


【好かれようとせずに尽くす】
「忠誠を誓う」というのは簡単なことではなく、
ただ上の人の言うことに、
同調すればいいというわけではありません。
つねに気を利かせて、先回りするというのも違います。
そこには、上の人に「好かれたい」「嫌われたくない」
という下心が働いているはずだからです。
見返りを求めずに、ただその人のために行動しましょう。
時間はかかるかもしれませんが、
それが信頼を得る一番の方法です。


【やればわかる】
行動を積み重ねましょう。
必要な知識や言葉は、やっているうちに身につきます。


【感情が人生】
照れないこと。冷めた態度を取らないこと。
もっと自分の感情に素直になりましょう。
不幸を聞けば泣けばいいし、
美しい景色を見れば、また泣けばいいのです。
感情は表現すればするほど、
受け取る力が強くなります。
ありったけの心を動かして、
人生を楽しもうじゃありませんか。


【すぐに育つものはない】
「人を育てなさい」ということは、
「一晩で別人のように変えなさい」
ということではありません。
思いやりと一貫性の正しい態度を、
沐浴のようにじっくりと浴びせ、
染みついたものが
自然と流れ落ちていくのを待ちましょう。
そして本人も気づかないうちに、悪いものから遠ざかり、
良いものへと移っていく、その様子を近くで見守り続ける。
できることは、ただそれだけです。


【ひとつのことに狂え】
「私は絶対こうする」という思想を保てる精神状態は、
ある意味、狂気です。おかしいんです。
でもその狂気を持っている人は、幸せだと思うんです。


【人生は目に宿る】
人の心は、目を見ればわかります。
生き方はちゃんと目に宿っています。
目を見なければ、交流ははじまりません。


【出会いと別れ】
来るものは拒みません。
ですから、その人が今までどれだけ駄目だったか、
性格が悪かったかは、別に知りたくないですし、
どうでもいいのです。

去るものは追いません。
ですが、あの人がどれだけ素敵でいい人だったか、
どういうわけか、いつまでも忘れられないんです。


 死罪の判決を受けたとき、松陰先生はまったく動じませんでした。
「承知しました」とだけ答えて立つなり、付き添いの役人に「今日もまたご苦労様でございます」とやさしく言葉をかけ、刑場に着けば、死刑にのぞんで懐紙を出し、はなをかむと、心静かに目を閉じたと言います。
 松陰先生は自らの毅然とした行動と発言でもって、人が本来持っている力を思い出させてくれます。
 自分の生き方だけが自分を救ってくれる。
 そして人は何も付け加えなくても、すばらしい生き方をすることができる、そう気づかせてくれるのです。

 吉田松陰という存在は、没後150年以上たったいまでもなお「きみは本気で生きているのか?」と私に問いかけてきます。
 彼は30歳で亡くなりました。
 奇しくも同じ年齢で、私はこの本を作る機会に恵まれましたが、松陰先生の存在ははるかに遠い。そのことをただただ痛感することになりました。
「教えることはできないが、一緒に学びましょう」とは松陰先生が弟子たちにかけた言葉です。
 松陰先生が命をかけて残そうとした知恵と想いを、読者の皆様とともに受け止め、後の世につなぐことができればこれ以上の喜びはありません。

覚悟の磨き方  編訳 池田貴将 ~あとがきより一部抜粋~


編訳者プロフィールを読んでみると、「池田貴将は吉田松陰の志を継ぐことを自らの使命としている」と書かれていた。
解説者の存在があってこそ、知ることができている。
ありがとうございます。
心から感謝を込めて。

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最近この本を読みはじめました。
人が何を思い行動に移していくのか、そこにわたしは強い興味があるのかもしれません。



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