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しょぼい生活革命 (読書記録)

中田考さんのあとがきに衝撃をうけた。

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まえがき 内田樹

 ピエール・ブルデューは『ディスタンクシオン』で、「後天的に努力して文化資本を学習しなければならない階層」と「生まれつき文化資本を身につけた階層」の乗り越えがたい差異のうちに階層再生産の力学が働いていることを明らかにしました。

 「飲んだことのないワイン」について、セパージュがどうしたら、テロワールがどうたら、マリアージュがどうたらとあれこれ蘊蓄を傾けられる「後天的文化貴族」。一方で、ワインの銘柄も産地も価格も知らないけれど、それを口にしたときに鼻腔に広がった香りや、グラスの舌触りや、かかっていた音楽や、窓から見た景色をありありと思い出して、その愉悦についめ語ることができるのが「先天的文化貴族」です。文化資本をどこから集めて来た「情報」として所有しているのか、固有名での「経験」として所有しているのか、その違いと言ってもいい。

「ワインの銘柄も産地も価格も知らないけれど、それを口にしたときに鼻腔に広がった香りや、グラスの舌触りや、かかっていた音楽や、窓から見た景色をありありと思い出して…」
その文章を読んでいたとき、居ても立っても居られないいられないほどワクワクしてしまった。
どんなことを感じてどんな音楽を聞いてどんな景色を見たのだろう…そんな疑問が自分のなかに生まれたからだ。

わたしは過去も今も「情報」として所有しているのではなく、「経験」として叶うならば自分の経験に含ませて所有しようとしているかもしれない。

情報も情報のままにしておくと、すぐに記憶から消えて無いものになってしまうから、経験に変えて記憶しようとしているところがあるのかもしれない。


第1章 全共闘、マルクス、そして身体
全共闘に欠けていたのは身体性より

 60年代は、とにかくやかましい時代でした。だから、それに対しては、さらに大音量で言い返すか、耳を塞ぐしかなかった。静かな声で語りかけるとか、微かなシグナルに耳を傾けるとか、自分の中にある微妙な違和感に言葉を与えるとか、生まれたての柔らかいアイディアを丁寧に育てるとか、そういったこもがほんとうにできない時代でした。

たくさんの声明が飛び交う時代。

 あの時代に一番欠けていたものは身体性だったと僕があらためて思うのは、「ちょっと待って」という言葉を言わせてもらえなかったということです。とにかく、「待つ」ということが許されなかった。「ただちに決断しろ」、「いまここで行動しろ」とつねに脅迫されていた。「ここがロドスだ、ここで跳べ!」というマルクスが『資本論』で引いた言葉が頻繁に引用されていましたけれど、どんな政治的難問についても、回答を求められたら、その場で即答してみせなければならない。即答できない人間は「ブルジョワ急進主義」だとか「反革命」だとか「スターリニスト」だとか、とにかく一瞬のうちにレッテルを貼られて、「破産してんだよ、おめえは」で片付けられてしまう。すごくストレスフルな状況でした。

授業料の値上げがひとつのきっかけとなり、学生たちはデモやストライキをした。
授業に出ないなら「不可」をつけるだけだという学校側の姿勢に学生たちは次の行動に出た。
大学の建物の一部を占拠して封鎖。大量のいすや机でバリケードをつくったのだが、学校側もこれには困り、入学入試などには機動隊を呼んで警備する騒ぎになった。

〔1968 年に発生した学園闘争で〕(2)東大でも日大でも,全員加盟の学生自治会とは別に,全 学共闘会議(全共闘)という組織が生まれた。自分たちの要求を実現するための闘う組織で, 出入りは自由,自分で全共闘のメンバーと決意すれば,だれでも全共闘になれる,と言われた。
東大と日大の闘争をきっかけに,全共闘が全国の大学に飛び火した。ストやバリケード封鎖 が次々に広がった。

【特集】「1968 年」と社会運動の高揚(1)
全共闘とはなんだったのか
― 東大闘争における参加者の解釈と意味づけに着目して  小杉 亮子



第3章 共同体のあたらしいあり方
名著の条件は人気がないこと


読んでいて思わず笑ってしまった。

司会・中田考
そういうものをなくしていくのが、いまの教育ですよね。とにかく全部わからないといけない、わかった気にならないと安心できない。


内田樹
そんなのわからなくてもいいじゃないですか。国語の問題で「作者は何が言いたいか?」というのがありますけれど、そんなのわかるわけないですよ。書いた本人だってよくわかっていないんだから。国語の試験問題によく使われているので、たまに送られてきた問題を読みますけれど、答えわからないですよ。前に高校の先生から手紙が来て、僕の文章が試験に出て、模範解答はこうなっているけれど、どうも納得がゆかない。これでいいのでしょうかと訊いてきたんですけど、そんなこと知らないよ(笑)。何でそんなこと書いたのか自分にだってわからないこと書いているんだから。


あとがき えらいてんちょう(矢内東紀)

 内田先生の著書は数多く読ませていただいていますが、もっとも印象に残っている本のひとつが『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)です。「先生はえらい、えらいのが先生なんだ」ということを言っている本です。あたりまえだろと思われるかもしれませんが(笑)、自分の師を見つけるためにはどうしたらいいかが書かれています。私はそれを読むまで、誰かを先生と呼び従い、人からものごとを教わるのが苦手でした。その感覚を壊してくれたのが『先生はえらい』です。誰でも先生と読んでしまっていい、じぶんにとっての先生になりあるのだと学びました。それ以来、私は誰でも先生と呼べるようになった。

(…中略…)

『先生はえらい』のなかで、内田先生は「師を見るな、師の見ているものを見よ」と書いてらっしゃいます。私はこれがすごくいい言葉だなと思って日頃から実践しています。どういうことかというと、先生でない人にも言えるんですが、ある人から直接発せられた言葉ではなくて、その発言の理由、何を達成しようとして発した言葉なのか、それを考えてみるということです。それを考えてみるとさまざまなことが奥深くわかるような気がして、非常に楽しい。だから自分も、表面的に内田先生のことをなぞるのではなくて、内田先生がどういう問題意識を持って文章を書かれたのかを思って読み、話すときも同じ姿勢で臨みました。話していると自分の中で眠っている知的好奇心を呼び起こさせてくれる喋りをする方なので、できあがる本がとても楽しみですし、こうやって一緒に本を書かせてもらったことを光栄に思っています。

矢内東紀さんのあとがきを読んで、この対談はお互いに「相手は自分の言葉を受けて止めてくれる」という安心感があったでは、と思った。
共通認識があり、でも理解できない部分もある。
それでもそこには相手へのリスペクトがあって、きっと満ち足りたすてきな時間だったのだろうなと、ほっこりした気分になった。


あとがき  中田考

 いや、若者と老人に限らず人間は分かり合えないものです。人類学には通過儀礼という概念があります。どの民族にも、メンバーの出生、成人、結婚、死などに意味を与えそれぞれに役割を割り振る習慣があります。それが通過儀礼で、互いに分かり合えない人間がそれでも共に生きていくための知恵でした。 
 グローバリゼーションが進化しインターネットが世界中の人々をつなぎ、人間は自由、平等になり、そうした儀礼は時代遅れな悪習としてすたれていきました。ところが人々が平等になり、自由につながることができるようになったにもかかわらず、逆説的に世界はますますセグメント化されていくようにみえます。東アジア、欧米、中東、国境で分断された世界中で排外主義が広がっています。

「問題は対立そのものではない。現代の分断化の問題は、両者の間に対話が成立しない、いや対話への意思すら存在しないことだ」と中田さんはあとがきのなかで言っている。
この言葉にとても驚いてしまった。
相手を自分の考えに同意させようとすることより、理解しようとも思わないということがとても恐ろしいことだと感じた。
隔たりが高い壁のようにそびえたってしまったら、いくら相手を理解しようと思っても会話どころか視線が合うことさえも決してないのだ。


そしてこうした分断の中でも最も深刻なのが世代間の対立、セグメント化です。なぜならそれは過去と未来の分断に他ならないからです。 農家の後継者不足は既に私が小学生だった頃から言われていましたが、現在では私の生活圏でも数十年続いた食堂や個人商店が後継者の不在によって次々とたたんでいます。いや、中小企業だけではありません。大学ですらそうです。(…中略…)そして周りを見回して思い知らされるのは、私たちは後継者を育ててこなかった、ということです。

自分の子どもに対しては、生きる上で大切なことや大切にしている考えを伝えたりしている。
ただ、その他の人に対してはどうだろう。
できる限りフラットに気さくに接しているつもりだが、自分の考えを共有したり受け取り手がいれば伝えようという意識は低いかもしれない。
これは自分が何か困りごとができたとき、自分でどこかにヒントはないかと探すのが好きであるという特性が影響をしているのかもしれないし、押し付けがましいのもな…というあきらめの気持ちもあるのかもしれない。

 大学院に残った者たちに対しても、そして大学を去って企業や政府に入った者たちに対しても、自分が仰ぎ見る真智への仰角を伝えてこなかった。大学の予算が削られ、ポストが減っていくのはその結果でしかありません。真智をその憧憬と仰角と共に「パス」しなかったなら、大学は、教員が学生の持っていない知識を持っていることで地位と金を得られるように、それを自分だけが持っていることで利益を得られる知識という財を売る場でしかなくなります。

個人主義的であればあるほど継承という文化は薄れていき、自由であるが故に固定された関係の維持が難しくなる。
誰かと繋がっていないことへの不安感はそういったところと関係しているのかもしれない。


 贈与者はいつも「送り先」について考えているからである。
というか、いつも「送り先」について考えているもののことを贈与者と呼ぶのである。(…中略…)
 すぐれた「パッサー」であるためには、パスを受け、さらに次のプレイヤーに贈る用意のあるすぐれた「パッサー」たちとの緊密なネットワークのうちに「すでに」あることが必要である。


(「内田樹の研究室」2009年12月14日)

贈与は楽しい。
あまり人の目に触れずにこそっと、相手と自分しか知らないような小さな関係性のなかの贈与が好みだ。
特に目に見えない無形の贈与を気づくか気づかないかの微妙なラインで人にするのもおもしろい。
贈与は遊びの一面もある気がする。

 本書は、東南アジアの連携への呼び掛けをもって終わります。世界の分断と自閉の時代に、「風の通り道」を穿つのは、希代のパッサーである内田先生と矢内さんをおいていない、と私は信じています。本書が先賢たちからの贈り物を未来に送り届け、世界の閉塞状況に新風を吹き込むものとなるのを願って巳みません。

2019年11月

このあとがきを読んで、少し自分の人との向き合い方も変化させてみようかなと思った。



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