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今日の山田君 ~思うこと~ 21

昨日のnoteのふりかえり 
~問いと向き合う~

昨日書いたnoteに対して
なかそねさんから刺さるコメントをいただきました。

なかそね
2020/08/21 09:41
設計者次第ですね。何をもって最適と定義するかですが、遊びがあれば詰められるという思想で設計する人もいれば、遊びがあるからこそ壊れにくいという思想で設計する人もいる。設計思想が気に入らないなら、別の場所に移るか、自身が設計者になるしかないかなぁ、と思います。

いただいたコメントの中に
たくさんの問いがちりばめられていた。
それらの問いに向き合いながら
知らない自分を見つけてみようと思う。


Q1 何をもって最適と定義するのか?

・完璧でないこと(不完全であること)
・変えていく余地があること
・流れが滞らないこと
・保守的でないこと
・安心できる場所であること(最も重要)
・楽しさがあること(次に重要)

Q2 どんな思想で設計するのか?

「思想」という言葉の意味があいまいだったので調べてみた。
思想とは
「心に思い浮かんだこと」
「考え」
「生活の中に生まれ、その生活・行動を支配するものの見方」

だそうだ。
そうであるとするならばわたしの思想は
「安心できる温かい世界を望むことであり、私の周りを明るく照らすこと」
だと言えるのかもしれない。

Q3 遊びがあれば詰められるのか?

遊びがあれば苦痛に感じることなく詰めることも可能だろう。
しかし、それでは必要なときに必要なタイミングで
取り入れることができなくなってしまう。
だから、あえて「詰めない」を選びたい。

Q4 遊びがあるからこそ壊れにくいのか?

遊びがあれば凝り固まることもなく柔かさを保つことができそうだ。
それがクッションの役割となってくれるのではないだろうか。

Q5 設計思想が気に入らないときは、別の場所に移るのか?

安心と楽しさが確保できない場合はさっと身を引くかもしれない。

Q6 設計思想が気に入らないときは、自身が設計者になるのか?

自身の力が及ぶ範囲のことであるならば、設計者になる意思はある。


なかそねさんからのコメントが刺さったのは
自分の中であいまいにしている部分をつつかれたからなのだろう。
自分自身あいまいにしていることには気づいていて、
でも見て見ぬふりしていた…ということなのだろう。
コメントをもらい強制的に向き合うとことで
逃げていた(逃げていた意識すらなかったのだが)ことに
気づくきっかけになった。

自分の最適を知ろうとしなかったこと
そして自分の最適に
遊びと余白を持ち込む覚悟がなかったことにも気がついた。

今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪


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