見出し画像

儀礼って何だろう?

「儀礼とは」かたちを成しているが
それが意味のあるものなのかと言われたら
実際には意味のないもので
だがしかし、
社会の一員としてやっていくには
必要不可欠なものである。

それは、「わたしは敵ではない」
「わたしたちは仲間なのだ」
と証明することにつながるからだ。

十数年前、よく仲間内で飲みに行ったり、
夏にはバーベキュー、冬には鍋パーティーをしていた。
彼氏(今の夫)とその友達とその彼女で構成されていたが
わたしにとっては、男性陣は高校の同級生でもあるため
男側にいたほうが気楽でよかったのだが
彼女という立ち位置のため
同級生の彼女たちと親睦を深めることになった。

それから数年経って
それぞれが結婚し子どもを持った。
示し合わせたわけではないのだが
妊娠、出産の時期がとても近く
それが二人目の子どもも
同じようなタイミングだったため
「タイミング合いすぎて気持ち悪いね。」
などと話してはいたが、
彼女から妻になり母になって
彼女だった「わたしたち」にも
共通点が増え仲間意識が強くなっていった。

「女子会」という名の
お昼を持ち寄り子連れでくつろぐ会が
月に1、2度開かれるようになった。
それは回り番で誰かの家で開催された。
それは、楽しくもあるのだが、
とても疲れる会であり
そのあとには毎回ぐったりしてしまっていた。

その後、子どもの成長とともに、それぞれ日常に追われ
会の開かれる頻度がどんどん減っていった。


それが10年ぶりにまた仲間内で集まることになった。

あの頃、鍋奉行を毎回買って出ていた夫の友だちが
「みんなでバーベキューしようぜ!」
と言い出したのだ。
しかもこれを
「回り番でそれぞれの家でやっていこう!」
と言い出したのだ。
昔は数組の集まりだったが
今では5家族22人にもなるのだ。

(なんてことだ!!こうなったら儀礼なんて知ったことか!)

「月1のバーベキュー」という
今まさに形づくられようとしている儀式を
わたしはわたしのために阻止することにした。

「段取りも無理だし、回り番はほんとうにできない。」
口頭ではっきりと、でもとげとげしくならないように
「わたしたち」には入らないと決意表明した。

そして明日は選別された3家族で
「わたしたちのバーベキューの会」
が開かれる。

(この選別では天気が不安定な中開催されるバーベキューに
子どもが風邪をひかないか心配している家族が除外された。)


内心では「わたしたち」でいることを望まない。
むしろ拒んでいると思う。

けれど、実際には
リクエストされたピクルスを作り
「塩にぎりをたくさん握っておくね。」
と宣言し、自らわたしたちであるための言動をしている。


儀礼とは拒みたくても拒み切れないものである。
無意識にそして必然として
行ってしまうものなのかもしれない。


儀礼なんてまっぴらごめんだ!!(心の声より)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?