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今日の山田君 〜思うこと〜 28

令和2年1月30日
それは初めてブログを書いた日。
一時期は毎日投稿していたので
4月には1ヶ月で33記事ほど書いていた。

あの頃は
強い意志と底知れない意気込みがあって
今になって思うと
見ていて気疲れしてしまうような
カラッとしていない
まるで近年の夏のような
イヤな熱さ(暑さ)が
あったかもしれない。

ここ最近は
noteなどに文章を書く機会が
激減している。
けれど、なにも焦りは感じないし
むしろ穏やかに過ごせている。
以前はnoteに書くことで
日常のなかで飲み込み続けている毒を
中和させていたのだろう。

「目標に向かってつっ走れ!」
そんなふうにじぶんを追いたてる必要性も
感じなくなってきた。


「所有しないは自由である」

これは物に対して言われたりするけれど
思考にも同じことが言えるのではないだろうか。
深く考えても答えが出なかったことを
考え続けるということは
あたまという限られた部屋のなかに
「また使うかも」と溜め込んでいる状態だ。

それはいつ使うのか?

置いておくべきものなのか?

ぐるぐる考えても仕方のないことは
「今はわからないのだから仕方がない」と
そんなふうに手放してしまったらいい。
思考にも断捨離が必要なのだ。


「見栄はコストがかかる」

これはプロ奢さんの言葉だけれど
じぶんのイメージを崩さないためにやっていることは無駄なコスト以外の何物でもないように思う。
見栄のために
やりたいことがやれない
逆にやらなきゃいけないことが出てくる
偽る必要が出てくる。
それらを続けていると
じぶんのいる世界が
じぶんに見えている世界自体が
偽りの世界になってしまう。

損得や
自己犠牲
そんなの忘れて
気持ちが動いたまま。
そのままを受け取ればいい。
思考で感情を歪ませないこと。
素直な反応を素直に受け取ること。
じぶんの感情に気づいてあげること。
何もする必要はなくて
まずは気づいてあげること。


おまけの小話

長男が入っている少年野球の新人戦があって
わたしはいつもは練習の送り迎えのみしているのだけれど、さすがに初めての大会だし、気乗りはしないけれど、夫は仕事だし立ち会いするようだなぁと思っていたところ、その前日に突然次男から質問を受けた。

「お母さん野球観るの好きなの?」

  「いやぁ〜好きではないけど、さすがに観ているようだよね〜」

「じゃあ、その日おれはスイッチ(ゲーム機)やらなくてもいいから、お母さん持っていっていいよ」

  「いやいや、野球の大会でゲームしているお母さんヤバすぎでしょ」

「音小さくしてやれば大丈夫だよ!」


真っ直ぐな瞳でそう言ってくるから
思わず「そうだね」と返事をしてしまった。

しかし実際そんなことをしたら
同じチームの野球愛の強い父兄から
冷たい視線と
子供に興味がない母親という
レッテルがはられそうだ。
でも…どんな反応されるかやってみたい気持ちも
少しばかりあったりもする 笑

今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪

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