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今日の山田君 〜思うこと〜 19

わたしの「ふつう」ってなんだろう?

「普通」という言葉は日常的に、そして頻繁に使われる言葉だ。

でも、人それぞれの「普通」があって
きっとわたしの普通と
あの人の普通は同じではない。

そしてまた「普通」という言葉にも
「普通である」ということにも違和感がある。

「普通ってなんだ?」

「普通」という言葉が好きではないのに
自分自身使ってしまっていることにも
気づいてはいるのだが
「普通」という言葉の便利さに
魔法のような言葉に
魅了されているのかもしれない。

いや、むしろ黒魔術だ。
それは呪いなのだ。
「普通」は
人をふるいにかける。
普通になれる者
普通になれない者
「私たち」を強め
私たちであるよう
強制し、矯正する言葉だ。

わたしは言葉を交わすことなく
あれこれと指示されるのが好きではない。

わたしは「普通」であることも選べる。
ただ、普通を選ぶ理由が必要だ。


学校という箱の中に入れられると
生徒としての「普通」が求められる。
「普通」とは無個性なことであるような
気がしてしまう。


しかし、社会に出ると変わった人ばかりだなと感じる。
何かにこだわり
何かに怒り
何かに翻弄されている。


「普通」とは
その場、その集団に合うか合わないか
それだけのことではないのだろうか?

わたしの家の「普通」が
他の家では「普通じゃない」のだ。

そんなこと、なんとなく
みんな気づいていそうだ。


それでも「普通」という言葉を使ってしまうのは
「私たち」でありたいという
(無意識ではあるのだろうが)
一体感を求めることで
生き残ろうとしているのだろう。
それは防衛本能だともいえるのかもしれない。


今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪


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