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日本人と蒙古斑とアルコール

始まりはここから

たまに蒙古斑がない日本人がいるのを目にして知ってはいた。
けれど、蒙古斑があるのは限られた民族であることは知らなかった。

「なにそれ!おもしろ!」
蒙古斑のない民族がいること初めて知りました。

「アルコール」は、肝臓でアルコールを分解する酵素によって「アセトアルデヒド」となり、更に、アセトアルデヒドを分解する酵素によって「酢酸」になり、この酢酸が炭酸ガスと水になっていきます。

お酒を飲んで気分が悪くなったり、時には二日酔いになったりするのは、アセドアルデヒドが原因なのですが、このアセドアルデヒドを分解する酵素には、分解力の強い酵素と弱い酵素があり、どちらの酵素を持っているかで、お酒に強いか弱いかが決まるようです。

生まれたばかりの赤ん坊のお尻の尾てい骨には、青い斑点があります。これを蒙古斑と言いますが、(蒙古斑の出る)モンゴロイド系の人種は、アセドアルデヒドを分解する力が弱い酵素を持つ人種のようです。日本人の約45%は、弱い酵素を持つ人種のようです。

自分がお酒に強いか弱い体質かは、血液検査で分かりますが、簡単な方法としては、腕に消毒用アルコールを含ませた絆創膏を10分程度貼って調べることもできます。

赤くなったら、ほとんど飲めないタイプ。
ピンクになったら、ある程度は飲めるタイプ。
反応がなければ、お酒に強いタイプ


日本心臓財団

蒙古斑とアルコールを追っていたら、「日本心臓財団」という存在に出会った。

そのサイトのなかで川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長)という方が書かれていたコラムがおもしろくて、ついつい他のものまで読み進めてしまっている。

耳寄りな心臓の話(第46話)
『アルコールに舞う心臓』

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このアセト・アルデヒドの分解が速いと悪酔いが少なくなるわけですが、その分解を左右するアセト・アルデヒド脱水素酵素の多少は人種によって異なることが判明しています。日本人、中国人、韓国人などのモンゴロイド(類黄色人種)では半数だけが通常の分解能力をもっているだけで、45%では1/16の力しかなく、残りの5%には全く代謝能力が認められません。これに対し、欧米コーカソイド(類白人種)やネグロイド(類黒人種)は誰もが酒に強いタイプなのです(図1)。

この分解能力の差大きすぎませんか?
モンゴロイド系以外はほぼ100%に近いのもすごすぎだし、モンゴロイド系も45%の人は分解能力がアルコールに強い人の1/16になってしまうとは。

飲めるのは約半数なのに、それでも飲み会文化が根強くあった日本ってある意味すごいかもしれない。
「お酒の席」という存在がそれ以上に大きな得をもたらしてきたんだろうな…と注射のアルコール消毒でも赤くなるわたしの頭にそんなことが浮かんだりした。

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 お尻に青い蒙古斑のあるアジア人の半数がアルコールに弱いということになりますが、国内で見ましても、通常の分解酵素を持っていて酒に強い人の割合は東日本と九州に多く、秋田県民が最多の77%、鹿児島と岩手県人が71%であるのに対して三重県人は最少の40%、愛知県人は41%となっています。それでも経験によって多少酒量は上がるようですが、5%の人は粕漬けや奈良漬を口にしただけで大変なことになってしまいます(図2)。
 酒の飲めない人を下げ戸(げこ)といい、酒を嗜む人、酒を沢山飲める人を上戸(じょうご)と呼んでいます。かつて律令制の課税単位に家族の人数や資産によって大・上・中・下戸の四等戸が決められており、上戸八瓶下戸二瓶などと婚礼に用いる酒の瓶数も決められていたことから、酒の飲みっぷりについても大ざっぱに上戸、下戸と呼ばれるようになったのだといいます。他にも、秦の始皇帝が万里の長城を築いた時に風とともに寒い山上の門(上戸)を警備する兵士に体を温めるよう酒を振る舞い、平地の門(下戸)を守る兵士には甘いものを支給したことから辛党、甘党が生まれたという説もあります。昔から「上戸かわいや丸裸」と身上(しんしょう)をつぶす人は多々あっても、「下戸の建てたる倉もなし」と酒を惜しんだからといって財産は残らなかったようです(図3)。

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ひどく酔っ払ってぐでんぐでんになり、正体を無くしてしまった様を、大酒を飲んで「へべれけ」になったと表現することがあります。ぐでんぐでんと同じに擬態語かと思いましたが、これがギリシャ神話に由来するというのです。主神ゼウスとヘラの娘が青春の女神とされるヘーベ(Hebe)で、オリンパスの神々の宴会では楽神アポロンが竪琴を奏で、ヘーベが不老不死の食物というアンブロシアを器に盛り、これも不老不死の霊・ネクタルのお酌をする給仕係だったといいます。神といえども、絶世の美女のお酌で飲み過ぎて前後不覚に酔っ払う神様が続出したとか。このため、ギリシャ語のerryeke、には「勢いよく注ぐ」意味があり、ヘーベのお酌(Hebe erryeke、ヘーベ エリュエーケ)が早口で「ヘベレケ」になったのだというのですが、どうでしょうか。酒の席で美人にお酌されたからといって、へべれけになって深酒をしないよう、くれぐれもご用心を(図5)!


蒙古斑

この「蒙古」という漢字は、もちろんモンゴルを意味する言葉ですね。

ただ、学生時代に知り合ったモンゴル人留学生が、この「蒙古」という漢字を嫌っていると言っていました。ふとその言葉を思い出して手元の『漢字源』(学研)を調べてみると、確かに「蒙」という字は、自分の子どもにつけたいとは決して思わない語源を持っています。
「豚に上から覆いをかぶせた状態」を指す語源を持ち、覆われて暗く、光がなくて何もかも見分けがつかなくなった豚(人)を意味する漢字なのだとか。


話が脇道にそれましたが、国立医学図書館(米)の情報を見ると、この蒙古斑(英語でMongolian spots/Mongolian blue spots)は主に黄色人種、具体的にはアジア人、アメリカ大陸の原住民族、ヒスパニック系などにだけ見られる身体的な特徴だと言います。
例えば米国においては、原住民族の90%、アジア系の80%、ヒスパニック系の70%が蒙古斑を持つものの、白人系の場合は10%以下だと言います。

世界的に見ても、白人の子どもの場合は1~9%の割合しか、蒙古斑を持っていないみたいですね。その結果、白人社会では蒙古斑を知らない人が普通に存在しているそう。
ちなみにこの「蒙古斑」、実は世界的に見るとモンゴルでも中国でも朝鮮半島でもなく、日本に来ていたドイツ人医師が日本で「発見」したという歴史をご存じでしたか?

「発見者」はエルヴィン・フォン・ベルツという人で、ある縁で日本政府に招かれ、帝国大学(現・東京大学)医学部の前身である東京医学校で20年以上教師を務めた偉人です。

日本での多大なる貢献が認められ、後に明治天皇からは勲章を与えられ、ドイツでも皇帝から貴族に列せられたほどの人。現在でも東京大学の本郷キャンパスに胸像が建っています。

このベルツという人が日本人の子どものお尻に青い「あざ」を「発見」し、モンゴロイドに共通する身体的特徴として「蒙古斑」を世界に発表するのですね。それまでは当の日本人も蒙古斑について、特にいわれを知らなかったのだとか・・・。
「そもそも、あのあざの正体って何なの?」という方、『広辞苑』(岩波書店)を見ると、
<皮膚真皮層中にメラニン色素細胞が存在するため>(広辞苑より引用)
とあります。正体はメラニン色素なのですね。普通は2歳児くらいで小さくなり消えていくのですが、大人になっても残った状態を持続性蒙古斑と呼ぶようです。
また、お尻以外にできる蒙古斑を異所性蒙古斑と呼ぶそう。異所性蒙古斑は消えにくいらしく、筆者の左肩にもありますが、成人しても残る(持続性蒙古斑になる)ケースが多いみたいですよ。


律令制とは?

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律令制度というものは、国の枠組み・行政の仕組みについて明確な決まり事が存在しなかったそれまでの日本の状態を、明確な「官制」や「税制」・刑罰の仕組み等を導入することにより、白黒はっきりとした中央集権的な国家を造り上げる段階へと移行させる意味で大変重要な役割を果たしました。

一方で、国の隅々・庶民のあらゆる生活にまで律令国家の仕組みが「貫徹」されたかと言えば、必ずしもそうとは言い切れません。そもそも、一つ仕組みを作ってみても、それが本当に「実態に即したもの」なのかは、実際に制度を運用してからでなければ分かりません。

例えば、奈良時代の律令制度を代表する仕組みの一つとして口分田を国家が支給して農業を行わせる「班田収授法」がありますが、当初こそある程度運用が行われたとは言え、奈良時代の段階から「三世一身法」や「墾田永年私財法」等農地の私有化を認める流れが生まれ始めた上、逃亡する百姓の存在や荘園による囲い込み等により形骸化し、最終的には完全に形骸化・制度が崩壊する結果を招きました。
結果として、律令制度全体として見ても、平安時代の中頃・10世紀の終わりくらいまでには完全に崩壊し、その後は各個人や各戸ベースではなく、土地を基本とした支配を特徴とする「王朝国家」へと変化していく事になりました。

もっとも、律令制度の崩壊にあたっては、平安時代にも適用されていた「養老律令」や「格・式」を廃止する政策が誰かにより打ち出された訳ではありません。律令制度廃止を掲げた政治家が何かをしたから制度が無くなったのではなく、廃止するまでもなく必然的になくなっていったというのが歴史的な実態と言えるでしょう。


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