見出し画像

どうやらコラージュが好きなようだ

下の記事を読んでいて、
「あれ?無意識にコラージュやっている?」と思った。
もしかしたらわたしはコラージュが好きなのかも。

高校生の頃、雑誌を切り抜いてコラージュし、カラーコピーするということをやっていた。

じぶんのイメージに合わせて作っていくのが楽しかったし、カラーコピーをして出来上がった質感が好きだった。

雑貨とカフェ

専門学校のとき「じぶんのお店(架空)をプランニングしよう」という授業があって、イメージしたものに現実を寄せていく工程がおもしろく、熱心に取り組んだ。

結婚式

そういえば結婚式の打ち合わせも楽しかったな。
ひたすらいろいろなものを見ていく。
そこからピンと来たものをプランナーさんに伝える。
言葉だけではイメージは伝わらないだろうと、画像を必ず添えた。
プランナーさんのアドバイスをもとに、再度練り直したり少し形を変えたりする。
じぶんのイメージを突き通すのではなくて、プロの意見を聞きそれを混ぜ込んでいくのが、誰かと作り上げる醍醐味なのだと感じる。

じぶんだけのイメージだとカドが尖り過ぎているのを、プロの手によって少し丸みを帯びた形に整えてもらうような。そんなかんじ。

料理の打ち合わせのときに、料理長(どうやら有名な方だったらしい)が夫に目もくれずにわたしとばかり話していた。
夫は「女好きなのか?」とボヤいていたけれど、打ち合わせに熱量を持つわたしと興味の薄い夫では、その態度の差は理解できなくもない。
プランナーさんと違って職人だから、伝えることよりも話がわかる人と話していただけなのだと思う。
たぶん夫の興味の無さが見抜かれていただけだ。

家づくり

わたしの人生でいちばんおもしろかったのは家づくりだ。
ぼんやりとしたイメージに「これだ!」と思う要素を集めて貼っていく。
たくさん時間をかけていろいろなものを見ていく。
ピンと来るものに出会うための「見る」という作業にいちばん時間を割いた。
ピンとくるからあまり悩むことはなかった。
設計士さんに「よくこんなの見つけてくるね 笑」と言われることが、わたしには褒め言葉だった。
出来上がった物よりも作っていく工程に価値を感じる。
イメージを集めてくるのは得意だけれど、形にするのは苦手だから、プロの手をかりて見える物にしていく。
寡黙な大工さんと現場でおしゃべりして、悪ガキみたいに「あれやっちゃおうか!」と、設計士さんに伝えずにコソッとやってしまうのもおもしろかったな。

家を建てるにあたってたくさんの借金をしたけれど、あの経験にはその価値があったと思っている。

良いことも悪いことも含めて濃度の濃い思い出になった。


「仕事頑張らなくては…」
夫にとっては呪いになってしまったかな?
お金が絡むほうが仕事のやる気が出ると本人が言っていたから、まぁ良しとしましょうか 笑

これから

これからどんなコラージュをしていくのだろう。
ぼんやりとしたイメージからシルエットが決まっていく。
そこにどんな色を合わせていくか。
どのような素材にしたらそのイメージにハマるのか。


おまけの小話

傍目に見るとすごい熱量で取り組んでいるように見えるのか、友だちから「結婚式のプランナーやったら?」とか「家に携わる仕事したら?」と言われたりした。
じぶんのことだからイメージが湧くけれど、ほかの人のことになるとイメージは湧かない。
イメージが湧くようにするには長い期間が必要で、今わたしがイメージできるのは家族と仕事仲間や近しい友人くらいだ。
その人の考え方や好み、これまでの経験が分からないと何も見えない。
やっぱり人のことはわからんから、自分のことを丁寧にあいまいにやっていこう〜♪


今日もあなたに心の安らぎと幸福感が感じられますように♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?