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今日の山田君 〜思うこと〜 31

あきらめ

「親は味方ではない」「自分でどうにかするしかない」と覚悟を決めた14歳のあの時から、楽しみや幸せは自分で見つけるものだと思ってる。
あのときはつらい思いをしたけれど、諦めたおかげで自分で行動していくことを学ぶことができた。
高校生になって自分のバイト代でケータイを買った。
バイトのおかげで好きな場所に自由に行けるようになった。
世界が広がったように感じた。
高校はバイト禁止だったけれど、バイトをするのは中学生のときから決めていたから、禁止だろうがそんなの関係なかった。
働くのは楽しくて、いろいろな人に会えるのがうれしかった。
ワイワイとした雰囲気で、バイトではあったけれど遊びの延長みたいな感じだった。

あの頃は無駄がたくさんあった気がする。
詰めが甘い部分がたくさんあって、そのおかげで働くのが楽しかったのだと思う。
無駄が省かれ効率的になると遊びがなくなってしまう。
余白がなくなってしまうように感じる。
効率的すぎると感情は死んで行く。
感情が取り残され、置いてきぼりになってしまう。

無駄話のおかげでその場の雰囲気が良くなるように、適度な無駄は必要なのではないだろうか。

便利になりすぎると人と人とのコミニュケーションが希薄になる。
人の気持ちに鈍感になる。
そして、力を合わせないとできないこと自体が減っていくことでふれあいも減り、それによって孤独を感じやすくなるのではないだろうか。

転びかた

傷つくことを恐れすぎると、前に足が出なくなる。
怪我をすることでどんなことをすると危ないのかを知っていく。
ただ不安がっていても何を恐れ、何を恐れなくていいのかはわからない。
自分の足で危ないかどうか確かめること。
その感覚を磨いていくこと。
近道はないのだから、少しずつやっていくほかないのだ。
小さい子どものように転びながら少しずつ覚えていくしかないのだと思う。
けれど、転ばない方法を覚える必要はない。
安全な転び方、起き上がり方を覚えていくと、ある日転ぶこと自体が減っていることに気づくはずだから。
転んでも大丈夫。
そう思えれば楽しい世界が待っている。


今日もあなたが心の安らぎと幸福感に気づけますように♪



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