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出来事をどうとらえるか?誰の物語とするのか? THIS IS USを観て考えたこと

はじめに

友達が「どハマりしたんだよね〜」とい言っていたこのドラマ。
最初は軽い気持ちで観始めたはずなのに、いつの間にかわたしもハマってしまっていた。
観れば観るほどハマってしまうのは、そこにさまざまな登場人物のそれぞれの抱える問題、苦悩や葛藤それとあたたかな物語があり、それらについて考えさせられるからかもしれない。

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『THIS IS US 36歳、これから』は「泣き」に重点がある)、群像劇の中ですべての主要キャラクターに活き活きとしたリアリティを吹き込む、その手際の見事さは共通している。テーマはシンプルだが、異なる時間軸や地理的距離のある登場人物たちが平行して描かれる、重層的な物語の構造を持つ。

このドラマを観ていると、登場人物それぞれが物事のどんな部分に固執して、どんなふうに囚われていくのかを客観的に見ることができる。
そしてアイデンティティがそれまでの人生を位置付けし、その後を創っていくのがよくわかる。
自分でどんなに決意しようとも逃れられないことがある。
社会の流れに真っ向から逆らうことはできないが、自分の手札の中から何を選択していくのか選ぶことはできるのだと教えられた気がした。



時代の流れと価値観の変容

映画との関連性において、もう一つ、興味深い指摘をしておきたい。『THIS IS US 36歳、これから』で描かれる親世代、子世代の家族が体現しているのは、ジェンダーにおいても、人種においても、アメリカの西海岸及び東海岸で生活する人々に典型的なリベラル的価値観と言っていいだろう。ドナルド・トランプが大統領に就任して以降、映画界では『スリー・ビルボード』、『ローガン・ラッキー』などを筆頭に、アメリカの中西部(ラストベルトなどとも呼ばれている)や南部に住むブルーカラー層に焦点を当てた秀作が続いている。言うまでもなく、ハリウッドのマジョリティはリベラル層だが、だからこそ、自分たちとは異なる価値観を持つ保守層(トランプに投票した人々)をフィクションの力を借りて理解しようとする動きが目立っているのだ。

自分たちとは異なる価値観をどのように理解し、どのように捉えなおすのか。


『THIS IS US 36歳、これから』は、いわばその逆方向からの検証だ。つまり、「トランプの時代」だからこそ、トランプ的価値観と対立している自分たちの足元をもう一度見つめ直すこと。アメリカ都市部のホワイトカラー層においてリベラル的な価値が当たり前になっていった親の世代(80年代)から現在にかけて、自分たちは何を見落としてきたのか? 何を切り捨ててきたのか? 2時間の映画ではなく、1シーズン10エピソード前後の作品が多いケーブル局やインターネット配信サービスのドラマでもなく、ネットワーク局のテレビドラマならではの週に1回というペース、1シーズン18エピソードというボリュームで、『THIS IS US 36歳、これから』はじっくりとそのことを問いかけていく。きっとそれは、時に苦々しさに満ちたものでもあるだろう。アメリカの視聴者が『THIS IS US 36歳、これから』にこれほど夢中になっているのは、まさにそこに「自分たちの姿」(≒THIS IS US)を見出しているからなのかもしれない。

日本人のわたしたちにはドラマの中に自分たちの姿を見るのは難しいかもしれない。
けれど、「自分だったらどうするだろう?」そんな視点を持ちながら観ることで、新しい見方を得ることができるかもしれない。


多様性のある社会の表の顔と裏の顔

アメリカは多様ではあるが、自国を愛するという点においては同じであること。
国歌をとおして愛国心をとおしてひとつにまとまる。
国の成り立ち上、何者であるかより何ができるかが重視される国。
ひとつにまとまることは難しいが、違いを許容する国でもある。

大きな集団をまとめるためには、国歌や神(宗教観)などによって「私たちはひとつである」という一体感を感じさせる体験は必要不可欠で、それを日常のなかに当たり前のものとしていかに組み込んでいくかが難しいところでもあるのだろう。



アメリカの
理想と現実。
貧困と差別。

日本の
理想と現実。
格差と差別。

このことに関してはまだ自分の言葉を持てないでいるけれど、知ることを恐れずにいたいし、知らないことや見えていないことがたくさんあること、知らずに傷つけていることがあるということには気づいていたい。

日本の中だけにいては見えないこと。
日本の中にいて見えていないこと。

差別意識がないまま差別していること。
差別される経験がなければ気づかないこと。


アルコール依存の問題

このドラマではアルコール依存についてもでてくる。
そういえば夫も、アルコールの量が増えてきたように思ったので調べてみると、興味深い記事を見つけた。
わたし自身はアルコールに弱く、注射の際のアルコール消毒でさえも皮膚が赤くなるので、お酒の魅力がよくわからない。

脳の中には「ドーパミン」という快楽物質を放出する細胞がある。アルコールが脳内に増えるにつれて、この細胞が興奮状態になり、歯止めなくドーパミンを放出。すると快楽が暴走し、飲みたい気持ちを止められなくなるのだ。いわば「アルコールに脳を乗っ取られてしまった」ような状態だ。

なるほどなぁ…。
ドーパミンが放出されることによって気分がよくなるから、「苦痛から逃れるために酒をのむ」という流れになりやすいのか。
現実逃避でもあるのかもしれないな。

アルコールが脳にもたらす「酔いの快楽」に魅せられて、人類はさらに強い酒を求め始める。8世紀頃には、ついに「究極の酒」を生み出した。酒からアルコール分を取り出して、より度数の高い「蒸留酒」を造り始めたのだ。ブランデーに焼酎、ウォッカなど…少量でもすぐに酔うことができる、まさに「快楽をもたらす酒」とも言える。

酒によって人と人の垣根が低くなって交流が盛んになる。
使い方によっては便利なものではあるけれど、主導権を酒に握らせてしまうのは怖いことだと思った。
酒が弱いと溺れようもないが、酒に強いからこそ溺れやすいということなのだろう。

この記事を読んでいて「日本人の4割がアルコールに弱い種である」ということと、稲作との関係性がおもしろかった。



アメリカ建国の歴史

国の成り立ちや特徴、時代背景がわかるとTHIS IS USがより楽しめる。

しかし今のところ、わたし自身ざっくりとした流れでしか把握できていない。
記憶力と理解力が弱いので、焦らず少しずつ理解を深めていければと思っているところ。


さいごに

娯楽のためにこのドラマを観始めたのに、いつのまにやら調べ学習みたいになってきている。
今はシーズン2のエピソード14「スーパーボールの日」を観ているところだ。

家族というくくりのなかにいると「家族を理解している」と思い込みやすい。
それは一方通行の勝手な思い込みではないだろうか?

このドラマを観て思ったのは、身近な家族だからこそ、腹を据えて話し合うことが必要であるということだ。
そして「理解できている」という思い込みをいかに捨てていけるかなんだなと感じた。

勝手な解釈が相手との関係性を歪ませる。
事実を見て、相手の話にじっくり耳を傾ける。
どうしても自分の意見や解釈を挟みたくなってしまうものだし、理解するために聞くことは簡単そうで簡単ではない。
自分の頭が勝手な解釈をつけてくる。
思い込みもプラスに働けば強みになるが、そこにはマイナスの面もある。

プラスの要素とマイナスの要素。
自分と相手とのバランス。

バランスをとるためには微調整は欠かせなくて、だからこそバランスをとるのは難しい。
そこが面白さであるとも言えるのだけれど♪

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