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過去を書き換え、書き換え・・

これまで大学の映画サークルで色々なテーマの映画を何本か映画を撮ってきた。

しかし、最後の2本に関しては同じことをテーマにしていたと
つい最近気づいた。

●1本目

高校時代に友人の女性が失踪したという経験を持つ男が、
7年後、彼女の失踪宣告による死亡認定を前に、
これまで彼女の存在を忘れて生きてきたことに気づき、苦しむ物語。

忘れてしまうということに対して、肯定していこうよ。
忘れなければ次に進めないんだから。
っていう話。

●2本目

周囲になじめず、さらに不登校気味である女子高校生が、
転校してきた男子高校生と出会うことで、何か変わり始める物語。

彼女は周囲になじめないからって閉じこもっていたわけではなく、
自分でそういう選択をして自分で満足してはいるんだけど
わかりやすくキラキラした高校生活を送っていない、
ひねくれた、ちょっと変人じみた女の子に設定した。

でも、観た人は皆彼女のとりこになってしまう。
彼女を愛おしく感じ、肯定したくなってしまう。

・自分はここまで極端な高校生活は送ってないはずなのに
なぜかこの子の気持ちがわかる気がする
・こんな子いなかったはずなのに、この子に見覚えがある。知っている気がする

そんな気持ちになってくれた人が多くいた。
これによって、この子のようにうまくいかない生活を送っていたかつてを肯定的な目で見てくれるのだ。
(「くすぐったい雲」10分ほどの短編です。)




さて結論。
2本をざっと振り返って見たけれど
こうしてみると、どちらも同じことをテーマにしていることがわかる。

それは、

自分の過去を肯定したい(切実です…)

いやまあそらそうなのよ。
否定しながら生きていく、進んでいく人生ももちろんあり。
だけど、わざわざしんどい方選ばないわ。よっぽど人に迷惑かけない限り。

私の座右の銘は「人生はコンテンツである」なのだ。
これまでの人生のあらゆる出来事、経験は全てに意味がある。全てネタになる、という意味ね。

何1つ無駄にしたくない。
別にあの頃の自分がかわいそうだから、とかじゃなく。

まあ、過去なんて今の私が解釈の仕方を決めちゃえば
どうにでも変わるもの。

気楽に生きても

全然大丈夫。





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