見出し画像

是旃陀羅(ぜせんだら)の真意

問題点

この「是旃陀羅(これ、せんだらなり) 」という言葉は観無量寿経に登場し、たびたび差別的だとして問題視される部分です。旃陀羅とは、チャンダーラ(https://en.wikipedia.org/wiki/Chandala)という通常の古代インドのカーストの外に位置づけられ、不可触民とされる階級です。
前の部分を付け加えて説明すると「汚刹利種。臣不忍聞。是栴陀羅」で、意味としては「(そのような行為は)王族としての階級を汚すもので、あなたの臣下として聞くに堪えないものです。チャンダーラが行うようなことです」という、差別意識が凝縮されたようなセリフといえます。
この部分だけ見れば、単純に差別的でありまったくもってひどい、という感想しか浮かばないのですが、実は経典のメッセージは差別とは真逆のものです。どういう真意が含まれているのか、確認してみましょう。

経典のメッセージの伝え方

内容に入る前に、経典には2種類(以上)のメッセージの伝え方があるという点に注意が必要です。1つ目はわかりやすく、お釈迦様(以下、釈尊)の直接の言動です。そして2つ目は釈尊以外の人物の言動とその結果をまとめてメッセージとしているものです。今回の「是旃陀羅」の部分は後者にあたります。
それでは、「是旃陀羅」に至るまでの観無量寿経の物語(王舎城の悲劇)を簡単に確認し、その真意を探っていきましょう。

観無量寿経、王舎城の悲劇の概要

王舎城というお城に一人の王子がいました。名を阿闍世(あじゃせ)といいました。アジャセは悪友の教えに従い、父親である頻婆娑羅(びんばしゃら)王を捕らえ、幽閉してしまいました。阿闍世の目的は父王を餓死させることでした。

それを知った王妃、阿闍世の母である韋提希(いだいけ)は、何とか王を助けようと密かに食べ物や飲み物を王に届けたのでした。
韋提希のおかげで問題なく過ごしていた頻婆娑羅王でしたが、ある日、このような状況が阿闍世の耳に入ってしまいます。牢獄を守っていた兵に阿闍世は聞きました。
「父はまだ生きているのか」
兵は韋提希が食べ物や飲み物を密かに届けていることを阿闍世に明かしました。

思うように事が運んでいないことを知り、阿闍世は怒り狂いました。
「我が母は大悪人だ」
そう言うと、阿闍世は韋提希を殺めようと剣を鞘から抜きました。

そのとき、月光(がっこう)と耆婆(ぎば)という二人の大臣が現れ、阿闍世を止めようと語り始めました。
「ヴェーダ経典(バラモン教の聖典)には、過去から数多くの人物が王座欲しさに自らの父を殺害してきたと伝えられています。しかし、いまだかつて無道に母を殺したという話はございません。そのような行為は王族としての階級を汚すもので、あなたの臣下として聞くに堪えないものです。旃陀羅(チャンダーラ)が行うようなことです。ここを去っていただくことになります」
そう言うとと大臣たちは剣に手をかけ、後ずさりしました。

その言葉を聞き、様子を見た阿闍世は恐れおののき言いました。
「貴様らは私の味方ではないのか」
しかし耆婆の
「母を殺してはなりません」
という言葉を聞き、懺悔して許しを請い、剣を捨てました。
しかし、韋提希は命こそ助かったものの、宮殿の奥深くにある部屋に幽閉されてしまったのでした。

大臣たちの言動と結果

大臣たちは阿闍世による母の殺害を止めようと以下を行いました。

  1. (ヴェーダ経典に基づき)父の殺害を容認し、母の殺害を否定する

  2.  差別意識を利用する

  3. (剣に手をかけ)暴力を利用する

では、その結果はどうだったでしょうか。

  1. 韋提希の命は助かる

  2. 韋提希は幽閉される

  3. 頻婆娑羅は引き続き幽閉され、食べ物、飲み物は絶たれる

  4. 阿闍世の父の殺害の意思へ消えず、母への怒りも消えていない

韋提希の殺害こそ止められたものの、本質的な問題、特に阿闍世の父への殺意や母への怒りはまったく消えていないことがわかります。

「是旃陀羅」の真意

大臣たちの行動と結果から、以下がメッセージになるのではないかと思います。
(父の殺害という)まったく認められないようなことを容認し、差別意識を利用し、暴力を利用すれば確かに人は動くかもしれない。しかし、本質的な問題はまったく解決しないのだ。

全体としてはバラモン教(ヴェーダ経典)への批判となっており、バラモン教が定めたカースト制度と差別も当然批判の対象となっています。確かに差別的な表現(話者はバラモン教徒の大臣)は使われているのですが、経典が伝えているのは、差別は人を幸せにすることはなく、なんの正当性もないということです。

読経の際、この「是旃陀羅」という部分を耳にして心を痛める方がいらっしゃるということを聞いたことがあります。確かにその部分に限定すると「被差別者=悪人」という意味で語られているので、そう感じるお気持ちは理解できます。しかし、経典のメッセージはあくまで「差別は不当だ」ということです。それを知っていただければ、むしろ観無量寿経という経典に勇気づけられるのではないかと思うのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?