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そして、この仁なき世界に麒麟はきたか?(クソ長い考察と総評)

☆コロナ関連を示す文字があると、noteは上記の警告を出すので、コロナは放送休止の件で触れているだけです。
ただの麒麟がくるの考察ですよ。

 コロナパンデミックによる放送休止を挟んだために、年をまたぐことになった麒麟がくるは2月7日最終回を迎えた。最終回の余韻の中で、ふとよぎったのは、この物語を自分はちゃんと読み解けていないであろう、ということだった。
 一度目の緊急事態宣言中は画面に重なるL字テロップのせいで、内容があまり入ってこないこともあったし、放送休止の間に前半を忘れてしまった感じもある。
 そのため、話と話の繋がりの部分の記憶が浅くなり、後半部分も摂津の演技のクセしか印象に残っていない回や、いくら何でも駒が活躍しすぎだろう、というツッコミしか残っていない回もあった。
 そもそも、コロナウィルスに様々なことが振り回され、マスコミやSNSの情報に脊髄反射を繰り返して疲れていたのもあるだろう。

 そこで、二度目の緊急事態宣言下で暇なこともあり、総集編までの間に44話全て見返してみることにした。総時間33時間半である。ソシャゲのイベントをやらなければ可能な時間だと思ったが、ダラダラクリックを繰り返すだけのゲームとは違う濃密な時間でかなり大変だった。
 せっかくなので、考察と総評を、連載小説を掲載した後、ほとんど使っていなかったnoteに上げてみたい。


●十兵衛と足利義輝の理想世界

 麒麟がくるはそれぞれの、理想世界のありようがせめぎ合う物語である。大きく分けては二つ、麒麟がくる世と大きな国である。
 物語の中で、平和な世界に訪れるという聖獣、麒麟に言及するのは、十兵衛、駒、足利義輝、足利義昭、煕子、信長の六人である。
 ただし、煕子は麒麟を求める十兵衛を陰に支える役割であり、独自のビジョンがあるわけではない。また、信長は金ケ崎から退却したあとで、十兵衛に「麒麟を連れてくるのは信長である」という麒麟の声を聞いたと告げた時に、聞いたことがある、と答えたのみであり、彼の理想世界は麒麟がくる世ではなく、大きな国にある。
 物語の中で、それぞれに麒麟を求めているのは、十兵衛、駒、義輝、義昭の四人である。

 麒麟がくる世とは何なのか。戦のない平和な世界とは物語の中で言及される。だが、そのありようは、十兵衛と義輝のもの、駒と義昭のものの二つに分かれている。

 まず、麒麟がくるのキャッチコピーが「それでも、この仁なき世界を愛せるか」だったことを思い出そう。この仁という概念は、物語の中で名言されないにも関わらず(気づいた限り言っていなかったように思う)極めて重要だったことに後で気づいた。
 概念は語られることがないが、物語の中でその名を与えられたものがある。駒の作る薬、「芳仁丸」である。つまり、芳しき仁の丸。
 ベンガル演じる老人、芳仁からレシピをもらったためについた名であるとしか説明されないため、わかりにくいにもほどがある。
 仁は儒教の中で、最上位を占める概念である。他者を思いやる心。東洋思想にはあまり詳しくないのだが、儒教では、五常の徳と呼ばれる、仁、義、礼、智、信の五つの徳目がある。だが、仁以外の残りの4つも全て、仁に含まれる概念であるという。
 仏教における慈悲、キリスト教における愛、ギリシャ哲学におけるアガペーとも共通した概念であろう。
 麒麟は平和な世の中に現れると言う。儒教における平和な世の中とは何か、徳を備えた君子によって治められる世である。つまり、仁を持った者によって治められる世になる。
 一話で、十兵衛は儒教の根本経典である四書五経を二年で修めた、と斉藤道三の口から語られる。
 一話で火事から子供を助け出し、駒から麒麟のくる世のことを語られた時、十兵衛の中では、それはすなわち、徳の高い君子によって治められる世と理解される。
 ただし、この時には、麒麟はいない、と十兵衛は答える。
 だが、後に将軍、足利義輝に出会い、その口からも麒麟の名前を聞く。義輝は十兵衛にとって、誇り高く美しい。武士の頂点に立つのにふさわしいと思う。だが、今その威光は翳り、他の者達に荒らされている。
 この誇り高き君主の威光を再び高め、共に模索していけば、麒麟のくる世となる、と十兵衛の中では理解された。十兵衛は将軍が武士を束ねることが世の安寧へと繋がる。将軍を中心とした秩序だった世界こそが、十兵衛にとっての理想である。
 故に、最終回で将軍義昭を討て、と信長に命じられたことが、本能寺の引き金を引いたのである。信長は自分への忠誠を試すために、彼の理想世界の根本を殺せと命じたと私は読んだ。
 ただし、そこに至るための手段として、道三が語り、信長が実行しようとした大きな国を作らねばならない、とも思っている。だが、この大きな国と理想世界の体現者たる幕府をお支えする、は十兵衛の中で常に揺れ動いていたのではあるまいか。
 故にマジレス蛮族十兵衛は信長の「わしに仕えぬか」という誘いを二度も断っているし、自分が一番仕えたかったのは義輝と信長に面と向かって言う。

●大きな国、道三と信長の理想世界。

 駒と義昭にとっての麒麟を見る前に、道三が夢見、信長が引き継いだ大きな国について考察していこう。
 まず、道三は前半、我々視聴者に対して、圧倒的な魅力を放つ。だが、十兵衛にとって理想的な主君ではなかった。道三はケチで人使いが荒い。度々の命令に十兵衛は「鬼め、命がいくつあっても足らんわ!」と吐き捨てるし、道三が子、高政と戦うことになり、身方につけと言われた時も、マジレス蛮族十兵衛は「好きか嫌いかで言えば、嫌い」とさえ、本人に向かって言う。
 そもそも、対立する始めの娘婿を、歌いながら殺すような残酷さも持っており、徳を備えた君子などであるはずもない。
 であるが、非常に計算高く、先見の明のある人物であり、対立する息子の高政よりも何歩も先を読んでいる。
 この道三が、長良川の戦いに挑む前に、十兵衛に残したのが、全ての国を従えれば戦のない世になるという、大きな国という理想である。
 この大きな国を引き継ぐのが信長であるが、彼もまた、最終的に麒麟を呼ぶ者ではなかった。強大な権力を持つに至るが、君子たる徳を兼ね備えた者でないために、悪政を行ったり、謀反を起こされたり(!)する者を、理想的な統治者である王と区別して覇者と呼ぶ。
 覇にあれど、王にあらず。
 これは、古典的な信長に対する評価である。しかし、この古典的な読みが平成の間に於いては覆されることが多かった。そこについては後述しよう。
 中国の古典などでは、王になれなかったのは、その器になかったから、とだけ結論づけられ、身も蓋もないことが多い。だが、この物語はなぜ王になり得なかったのか、仁(=他者を思いやる心)が欠落してしまったのかが、極めて、現代的、今日的な視点で描かれる。
 母に愛されず、父に認められなかったから。
 故に自己評価が低く、承認欲求が強い。行動の動機は褒められることにある。
 また、空気が読めず、物事を白か黒かはっきりさせたい人物であることも描かれる。
 帰蝶の婚礼を祝いに来た、父の織田信秀に対し、今川に寝返ろうとした松平広忠の首を差し出す。原初の時点から危うさがあった。
 なぜ母に愛されなかったのか、弟信勝を殺した後の母とのやりとりの中で見えてくるのは、母、土田御前の歪んだ姿である。母は、お前は私の大事なものを壊してしまうと訴える。大事にしていた茶器を壊し、小鳥を殺した。そして、もう一つ、私の大事な信勝を殺した、と。
 子供が物を壊すのは当たり前である。小鳥はどうしたのか、信長の持ち前の残酷さで殺したと考えることが出来ようが、信長は良かれと思ってしたことで母に遠ざけられたと口にしていることから、何らかの過失だったと考えた方が良いであろう。
 そして、茶器や小鳥と、弟の信勝が土田御前の中では並列で、殺したではなく、壊したと表現する。信勝もまた土田御前にとって愛玩でしかなかったことがこのセリフから分かる。
 土田御前が信長を遠ざけたのは、彼が分からない子だからではなく、自分と同じような欠落を抱えた同族嫌悪だったのではないだろうか。
 この回はメイン脚本の池端俊策ではなく、サブ脚本で、かつて軍師官兵衛を書いた前川洋一の手によるものだが、おそらくアウトラインを決めておいた上で、サブ脚本家に依頼しているのだろう。信長の欠落を語る上で欠かせない回となっている。
 父、信秀は信長を愛していなかった訳ではないが、彼にとってこそ、信長は分からない子であったのではないだろうか。死に際して、帰蝶の口から、信長は実は自分に似ていると遺言を残した、と語られるが、帰蝶の作り話であったのかもしれない。
 その信秀は父として厳しく接しなければならない、という思いによって信長を認めない。曖昧な感覚を読み取れない信長にとっては、厳しく接していても愛しているという部分は感じ取ることが出来ない。
 父母に認めて貰えない信長は、魚を捕って分け与え、領民に必要とされることや、あぶれた次男坊、三男坊を拾って仲間にすることで埋めていた。
 その行いを見た十兵衛は、信長の中に仁を見いだしたと言えるだろう。
 さて、終盤で十兵衛が信長のことを、この浜辺で魚を捕って領民に与えていた頃のことを例に出して、「人の気持ちが分かる方かと思っておりました」と言う。
 だが、視聴者は信長は出てきた時から、松平広忠の首をとって父に無邪気に差し出してきたことのインパクトを覚えているので、?となった。初めから信長は危うかった。
 ただし、見返してみるとここのところの辻褄があっていたことが分かる。そのシーンに十兵衛はいないし、後に信長の口からは、父の敵を倒してやったのに認められなかったとしか語られず、具体的なことは知らされない。
 また、この前に、駒と帰蝶との間の三角関係なやりとりがあり、そこで徹底的に朴念仁な十兵衛は、彼も彼で心の機微に疎いタイプであることが示されている。
 十兵衛は思い込むとまっすぐなタイプである、帰蝶から説明されていることから、理想を追いかけるあまり周りが見えなくなる、とも分かる。
 つまり、十兵衛は信長の根本的な危うさを知らされなかったし、推し量れもしなかった。初手の時点ですれ違いが起こっていたことが分かる。
 この信長を最初に認めたのが、伯父になった斎藤道三であった。聖徳寺の会見のシーンは十五分も裂いており、極めて重要だったことが分かる。
 そして、兄弟の中で、最も似た器量を持つと言われる帰蝶に褒められ、助言を受けながら天下への街道を駆け上っていく。信長は道三の反復であった。
 放送休止直前の桶狭間の戦いはそれが良く分かる。敵兵2万に対し、自軍は3千。これは長良川の戦いにおける、高政軍と道三軍の兵力と同じである。
 この状況に対し、帰蝶は道三の二の舞になることを心配する。だが信長は今川方の兵力が分散している今ならば、行けると確信する。
 これは、帰蝶を介さずとも、道三的な思考が信長の中に宿った瞬間であったと言える。桶狭間の戦いは、この物語の中では道三のリベンジでもあったのだ。
 放送再開後、信長と再会した十兵衛は、かつて道三が託した大きな国のビジョンを伝える。信長は子供のように無邪気に地図の周りを走ってみせる。
 桶狭間の戦いの後で、帰蝶は母だと言っているが、信長にとって十兵衛を仮の父にしたいという思いがあったと思える。だが、前述したように十兵衛には自分の理想世界の体現者たるべき幕府への思いが捨てきれず、直接信長に仕えることは断る。その後、十兵衛は幕府と信長の両方に仕える家臣となり、信長のみを主君とするのは義昭と信長が対立するようになってからになる。
 信長は、新しい将軍義昭を連れて京に入り、権力を増していく。だがこの頃から、信長の中の危うさが徐々にあらわになり始める。
 決定的になったのは比叡山の焼き討ちで、女子供も問わず、徹底的に殺戮する。積み上がる坊主たちの首を見て、信長は嬉しそうにする。 
 信長は足利義政以外、切り取りを許されなかった蘭奢待を所望し、権力の頂に登り詰める。信長は、この世で偉いものを、太陽、帝、将軍の順に位置づけて語っていたが、安土城を日輪にも届く城と表現し、自分が帝をも超えた存在であると奢り始めたと言える。
 家臣たちへの扱いもぞんざいになり、松永久秀と荒木村重から謀反を起こされ、長く仕えてきた佐久間信盛を追放する。
 ついには帰蝶さえもついていけなくなり、権力の頂点で迷走する信長を、道三だったら毒を盛るとさえ言う。
 この直前に、丹波の波多野秀治ら三人の首の塩漬けを十兵衛に「褒めてくれると思って」差し出している。リアルタイムで見ていた時は信長の変わらなさとして映ったが、見返してみると、信長の退行として映る。
 帰蝶の口を通じて、道三にさえ見放されたことが告げられたことは、道三に認められる前、父母に愛されない子供だった頃への回帰を意味するのではないか。
 また、信長は安土のことを日輪にも届く城、と言い、この世で一番偉いのは太陽と言いながら、引かれるのは桂男の故事である。
 帝は駆け上がり戻って来たものがいない世界を月と表現する。太陽に焼かれ墜落する訳ではない。権力の頂点が胎内回帰のような印象を与える。
 34話で松永久秀が、母が死んでからは自分の行き先は易で決めていると言ったが、この成長の先にある退行というか回帰は、東洋思想的なものを感じさせる。恐らく、四書五経の一つである、易経に関係しているのであろうが、自分には素養がないために分かり兼ねる。
 麒麟がくるの衣装は五行相克に基づいて決められていると言うが、恐らく他にも東洋思想を引用しているものがあり、分かった上で見るとさらに深く見えるものがありそうだ。
 そして、十兵衛は月に届く木を切る夢を見る。その木を登っているのは信長であると分かっている。その悪夢のせいで、目覚めると汗をびっしょりとかいている。
 この状態は、4話で信長の父、信秀が悪夢を見て、目覚めると汗だくになっていると、東庵に伝えた状態と同じである。この状態を菊丸と共に正体を隠して、尾張に行った十兵衛は東庵が薬草の根を割って見せたことから判じて見せて、道三に伝えている。
 信秀は今川の放った毒矢が肩に当たり、その毒が身体に回ったことで徐々に衰弱し、死に近づいていった。
 信長の仮の父となった十兵衛もまさにその状態にあった。十兵衛の場合の身体に残った毒とは謀反を起こした松永久秀が、十兵衛に託した平蜘蛛であったのではないだろうか。平蜘蛛の茶器こそが、毒蜘蛛であったのだと思われる。
 権力の頂点に登ったが故に周囲から見放された信長は、仮の父、十兵衛への執着を強くしていく。帝と会って何を話したかが言えない十兵衛を殴りつけ、家康と仲良く話をしているところを見ては嫉妬する。むしろ、帰蝶からも見放され、父母両方を十兵衛に見るように甘えと依存の裏返しとして、暴力へ向かう。
 信長の自己評価の低さと承認欲求は、かつては領民に魚を分け与えるような仁を伴った行動の源にもなっていたが、戦の中で己を認めてもらうために暴走し、仁なき覇者となってしまった。それは背中を押した十兵衛の責任であると信長は言う。彼は長く眠ってみたいと言う。あたかも胎内に回帰するように。
 そのモンスターとなった仁なき覇者を、それを作った仮の父の責任として倒す、それが本能寺の変であった。本能寺で切腹をした信長は介錯も受けず、胎児のような姿勢で蹲る。この姿勢は長良川の戦いで散った道三の最後の姿勢とも重なっている。

●新自由主義のアイコン、織田信長の落とし前

 魔王信長の行動原理を自己評価の低さと承認欲求としたところが、非常に今日的である。光秀の生年には諸説あるが、基本信長の年上である。故に主演、長谷川博己よりも年下の俳優の中から選ばれるのが当然であったとしても、丸顔で童顔の染谷将太に演じさせようと考えたのは誰であったのだろう。
 信長の根源に子供っぽさがある、という理解にこれほどの人選はなかったのではないかと思える。家康饗応の時の膳が違う、と怒るところは恐ろしくもあると同時に、イヤイヤ期の幼児のようにも思えた。
 承認欲求はまさに我々の目の前にぶら下がった課題である。社会にSNSが浸透すると、人は注目をされるために何でもするんだな、という思いを深くする。
 さらに昨年からはコロナ禍の中で、対面コミュニケーションの割合が減り、ネットを介したコミュニケーションの割合がどうしても高くならざるを得ない状況下の中で、リアルタイムの問題でもあったように思う。
 無論、承認欲求のモンスターが天下を取ることは可能か。もっと信長は理知的な人物であったのではないか、という疑念が湧いてきた人もいよう。だが、残念ながら、それにはついこの間まで、誰が核のボタン持ってたと思ってるの?で反論可能になってしまうのが現代である。
 歴史上の人物で誰が一番好きか、というアンケートをとると、ほとんどの場合で織田信長が一位となる。原典に当たることが出来ないので不確かなのは申し訳ないが、歴代の好きな歴史上の人物は戦前は西郷隆盛であり、戦後は坂本龍馬であったが、平成に入ってから織田信長になったはずである。
 一般的に信長のイメージは、南蛮渡来のものを愛し、洋装に身を包み、ブーツを履き、西洋甲冑を身にまとう。西洋甲冑は歴史的にはどうも違うようだが、信長のイメージとして定着している。部屋に燭台があったり、椅子に座っていたりする。戦国とバロックが融合した独特な格好良さがある。魔王という響きも厨二心をくすぐる。
 そもそも、本能寺の変が永遠の謎であり、死体がどこに行ったのかが分からないのも魅力である。
 そのため、歴史小説や大河ドラマだけでなく、ゲームや漫画などでも広く題材にされてきた。
 思えば、信長の持つ革新性は、新自由主義のアイコンでもあった。思い返せば、例えば小泉純一郎は好きな歴史上の人物に織田信長を挙げ、確信犯として自己同一化を図ってきたところがある。
 現代人が戦国時代にタイムスリップして、信長に面白い奴だと言われたり、信長自身が現代人であったという設定の漫画やゲームが作られ、信長の持つ革新性は、イノベーションを求めていた人々の理想的な姿として映った。
 信長の持つ冷酷な部分は、成長のためならば犠牲にしても厭わない部分として許容されてきた。まさに構造改革の痛みである。世の中が勝ち組と負け組に分かれるとか、自己責任だとか、平成後半を彩っていた価値観と重なる。
 そもそも麒麟がくるは、それぞれの理想世界のせめぎ合いの物語である。皆が戦を厭うている。だが、これは王道回帰によるアンチテーゼとも取れる。
 最近の戦国時代を扱った大河ドラマ、真田丸とおんな城主直虎は、翻弄される小勢力の物語でもあり、あまり、天下国家を語らない。それが良いことであるともされてきた。
 軍師官兵衛でも天下国家は焦点ではなかった。そして、その前の作品の江では、戦を嫌がるヒロインが嘲笑され、スイーツ大河と揶揄された。
 正直なところ、江は初回を見ただけで、合わないな、と思ったのでそれ以降は視聴していないため、語る資格を持たない。だが、スイーツ(笑)という表現自体が今となってはミソジニー的すぎるし、作品そのものの稚拙さと戦を嫌がるという表現の可否は繋がらないはずである。
 既に削除されてしまった当時の大河ドラマ感想ブログ(かなりアクセスがあった)では、戦後民主主義的であり、当時の価値観に沿っていないと言っていた。
 だが、例えば十兵衛が典拠としていた儒教でも、或いは仏教や当時流入してきていたキリスト教でも戦争の続く世界は理想世界などではない。
 むしろ、当時の価値観という言葉で包んだ中に見え隠れする、学校教育的な価値観から飛び出したいという発想こそが、同時代的であり、リバタリアン的ではなかったか。
 私は聖徳寺の会見のシーンを見ながら、新しいリーダーの元でイノベーションが生まれてこの国は豊かになるはずだったのに、労働市場だけが破壊されて賃金が下がり、なぜか判子一つ廃止できなかったここ二十年ほどを思っていた。新自由主義的な、リバタリアン的な価値観は家父長制や権威主義と相性が良く、ただ弱いところにしわ寄せが来ただけではなかったか。
 後半部分の信長の姿はどこか既視感があった。我々は新しいリーダーともてはやされたベンチャー企業の社長が、社員を思いやれないブラック企業の社長となり、過労自殺などの労働災害を起こすところをどれだけ見て来たか。
 また、風雲児ともてはやされていた人が、強い支配性故に誰も物が言えなくなり、硬直化するところも見て来た。
 麒麟で描かれた子供のような信長とは、新自由主義的な、リバタリアン的なアイコンとしての信長に落とし前をつけた姿ではなかっただろうか。
 また、これは制作側の意図ではなく、私個人の感想であるということを断った上で言うが、子供のような信長、褒めてもらいたい信長からは、安倍晋三、前総理大臣を思い出した。
 彼の憲法改正へのこだわりが、祖父岸信介への思慕から生まれているということは良く指摘されている通りである。厳しく不在がちであった父で、リベラルな傾向を持っていた晋太郎ではなく、可愛がってくれた母方の祖父で、昭和の妖怪こと岸信介に強い一体感を持っているというところは、どこか道三と信長の関係を彷彿とさせる。

 だが、それでも、母の愛を受けられず、父に認められなかった信長は、染谷将太の演技力も相まって恐ろしく魅力的であった。
 最終回で十兵衛の娘のたまが「思い出すというのは忘れていることだ、常に考えていれば思い出すとは言わない」という内容の歌を歌う。
 信長が本能寺に火をかけよ、と言ったとき、首を与えないということで、自分を忘れさせないという信長の十兵衛への強い思いを感じると同時に、それでも本能寺は永遠に謎であり続け、後世の人を魅了させつづけることを意味していたようにも感じた。時の向こうから本当の信長が我々に忘れさせないと言っているようであった。
 信長、恐るべし、である。

 さて、十兵衛の物語は、仁に欠けた覇者、信長を倒し、その理想は君子たる王、神君徳川家康に引き継がれた、ということで終わる。十兵衛にとってはそうだろう。
 実際、徳川家が将軍となり、太平の世は260年続く。戦の時代は終わりを告げる。
 だが、本当に麒麟は来たのだろうか。成就されたのは統治のシステムである。システムが出来ても魂が入らなかったのでは意味がない。そこを問いかけるのが、実は駒の存在である。

●駒と義昭にとっての理想世界。

 駒については、麒麟がくるという物語が好きだという人の中でも評価が微妙である。大河ドラマの中にオリジナルキャラクターをここまで出すということに難色を示す人もいるし、さらにコロナによってロケが難しくなったり、撮影スケジュールが逼迫したりで、ここは駒、というか門脇麦に埋めてもらったんだろうな、と想像できる場面がいくつかある。故にバランスを欠いてしまっている。
 そもそも、大河ドラマ云々を抜きにして、創作のキャラクターとして見た場合、駒はあくまでもケアをする女性であり、女性造形として古くさいことは否めない。
 中には駒の存在を以て駄作と言い切る人もいるし、ツイッターで検索した中では、池端俊策は名前を貸しているだけで、共同脚本の女性脚本家、岩本真耶に乗っ取られているのだと言う、恐ろしく失礼な人までいた始末だ。
 むしろ、駒のような造形は、70代の男性の女性像の限界なのかな、と思うが、そうは思わなかったらしい。
 見返すにあたり、駒が何を背負っていたのか、駒の役割とは何だったのか、を考えながら見ることにした。駒の役割は多くの視聴者が思っている以上に重要であり、キャラクターとして成功しているかどうかは別としてもっと報われて良いと思った。
 ほんとう、麒麟絵に駒少ないし。
 むしろオリジナルキャラクターな上に古くさいと見下すことで、駒の役割を我々が見失っており、見る側のミソジニーがあぶり出されているとも言える。
 麒麟の脚本は、たやすくツッコミを入れてしまうが、よくよく考えるとその下にもう一つ意味があり、「しまった、これが池端の罠か!」となることがある。

 まず、駒以外の、十兵衛、義輝、義昭は将軍と幕臣であり、町衆の駒を入れなければ当事者抜きで、麒麟という理想世界を追うことになってしまう。確かにこれではまずい。だが、駒の役割はそれだけではない。
 十兵衛に麒麟の存在を最初に意識させるのは駒である。みなしごだった彼女が望んでいる麒麟がくる世は、戦争のない世界であり、病や貧困のない世界である。
 四書五経を2年で暗唱できるインテリである十兵衛が、麒麟と言われた時、それは君子によって治められる世であると理解されてしまう。
 だが、一介の町衆である駒にとってはそうではない。麒麟がくる世とは君子を頂くシステムの構築とは結び付いていない。
 駒は十兵衛に惹かれていくが、身分の違いから身を引くことにする。6話で十兵衛の母牧に対して、女子はいつか嫁に行くものと言われるが、そうでない者はどうなりましょうと問いかける。
 駒は十兵衛と、後に十兵衛の父であったと分かる大きな手の人への想いを、自分なりに麒麟を呼ぶことで試みようとする。それが、芳仁丸の作成である。芳仁丸の効果が実はプラセボに過ぎないことは作中で示されている。
 東庵が最初に芳仁丸に反対するのは、何にでも効く薬などは存在しない、本来の薬は使い方によっては毒にも薬にもなるという至極まっとうなことを言う。
 芳仁丸の効果とは何か、人々にとって見捨てられていないことを示すものなのではないだろうか。他人を思いやる心、仁の実践、ゆえに芳仁丸なのである。
 ちなみに、戦国大名たちをつなぐネットワークの中で活躍する遊行者には、伊呂波太夫のような芸人など様々な人々がいるが、医者である東庵が作品に選ばれたのは、良く言われるように「医は仁術」だからなのではないだろうか。
 東庵と喧嘩して家を飛び出し、伊呂波太夫と近衛前久と共に大和で出会うのが、当時は覚慶と名乗っていた次の将軍になる足利義昭である。
 リアルタイムで見ていた時は義昭が駒に惹かれていく展開はいくら何でもご都合主義すぎやしないか、と思っていたのだが、見返すと義昭が思いを同じくする駒に出会って惹かれていくのは当然であったと分かる。
 いや、それでも強引な感じは残るが。
 義昭も麒麟を思い描く者の一人である。だが、彼が根拠とするのは儒教ではない。6歳で出家し、以後根拠としていたのは仏教である。四書五経に対する知識はあっただろうが、彼の世界は仏の慈悲によって動いていた。貧しい人を少しでも多く救いたいと願い、思いを同じくする駒と出会う。そして、麒麟という理想世界を体現する同じ言葉を口にする。しかも駒は可愛い。めっちゃ可愛い。それは惹かれるなという方がおかしい。
 義昭は、十兵衛や兄の義輝と違って、武士という文脈の外にいた人物である。十兵衛の娘たちとはすぐに仲良くなり、か弱い虫を愛でる。
 だが、将軍になろうとする時、本人の知らぬところで原罪を犯してしまうことになる。それが、三淵藤英の手による、朝倉義景の嫡男、阿君丸の毒殺である。
 正直、ここもいくら何でもえげつない展開すぎるので、この時期に阿君丸が死に、そこに毒殺説があってもそのまま描かなくても良いだろう、と思っていたし、あと子供が飲んで分からない味の毒ってなんだろう、というミステリー的なツッコミもあり、(今だにこの毒が気になって仕方がない)最初に見た時はこの展開じゃなくても良いだろうと思っていたが、因果応報としてここは必要だったと分かる。
 朝倉義景と義昭は元々似た性質のある人物である。朝倉義景も男らしいタイプではなく、可愛らしいものが好きである。故に嫡男阿君丸を溺愛していたし、阿君丸がネズミを大事にしていても、男らしくしろ、と叱ったりしない。
 戦も好きではなく、羽織もピンク色だ。伊呂波太夫には、この越前でのほほんと暮らしていれば良いと言われている。
 義昭が、蟻が大きな蝶の羽根を協力して運ぶのを見て、皆の支えがあれば、自分にも将軍が務まるかもしれない、と言うのを十兵衛から伝え聞く。
 武士として育った訳ではないが義昭のその優しさの中に、十兵衛は君子たりえる可能性を見いだすが、義景はそれを聞いて、「神輿は軽ければ軽い方がいい」と言い放つ。
 それは、義景が領主たるにはふさわしくないと思っている自身の特性を持った人物であるが故に、とっさに見下すような発想が出てしまったと分かる。
 阿君殺しは、義景にとって、因果応報と言えるものであり、また、義昭にとっては将軍として生きることの原罪となる。
 強引に現実を変えようとすると、弱い者が犠牲になるという姿勢はこの作品の中で徹底している。阿君殺しだけでなく、比叡山焼き討ちの前に、十兵衛が摂津に向かって、古きものは変えねばならない、と言い放った後に、女子供から犠牲になる比叡山焼き討ちが起こる。
 さて、原罪を負った義昭は将軍の務めを果たす中で、徐々に変わっていく。その象徴が虫に対する扱いである。蝶の羽根を皆で運ぶ蟻から、蚊帳の中に放つ蛍、そして戦場で捕まえて来た蜻蛉。蜻蛉は小さな籠に詰められ、翌日には死んでしまう。その死骸を庭に放った時、義昭は完全に変わってしまったことが分かる。
 施薬院を作ろうと駒から預かっていた金も鉄砲を買うのに使ってしまう。
 義昭と信長は敵対しているが、戦が人を変えてしまうという意味では共通しており、さらに義昭の方が変化が急激である。
 このように、将軍義輝と義昭の差が、十兵衛と駒の差としても表現されている。ここでも、駒は必要なキャラクターだったと分かるだろう。
 だが、ここで、一つの疑問が湧き上がる。駒は町衆の代表であると言っても、登場時から綺麗な服を着ている。東庵はすぐに博打に使ってしまうが、そこまで困窮している訳ではない。さらに、読み書きまで出来る。当時の女性で読み書きが出来るというのはなかなかない。
 また、みなしごと言っても、伊呂波太夫一座では大事にされてきたし、東庵からも可愛がられている。正直かなり恵まれている。庶民の惨状を見ているとは言え、その代表と言っていいのだろうか、と思う。

 だが、この物語の中には、駒より下から這い上がった者がいる。貧困の絶望を知っている者がいる。他ならぬ秀吉である。

●秀吉と分断

 この物語の先に、秀吉が信長の大きな国を反復していくであろうことは、視聴者皆が気づくことであろう。信長が地図の周りを走って大きな国とはこのくらいか、と言う時、ちょうど朝鮮半島ぐらいまでが入る大きさを回っている。
 秀吉は信長の理想をなぞって、朝鮮出兵をし、そして高みに登り、転落する。十兵衛が夢の中で切った木は、醍醐の花見の際の桜の木として反復されることだろう。
 すなわち、秀吉もまた覇者であるが仁を兼ね備えた王にはなれない。
 なぜか、それは秀吉が見て来た世界と武士の世界との分断が深すぎる故である。
 秀吉は駿河で、駒と東庵に会うが、駒との邂逅は義昭と同様に必要であったことが見返して見ると分かってくる。
 ことあるごとに、秀吉は周りから見下される。自分の生まれは卑しいと思い知らされる。道化を演じているが、常に目つきは暗い。秀吉は生まれ故に分断され、脚本はその分断を幾度もなぞることで、秀吉のキャラクターを説明している。
 故に周りを見返して復讐をしたい、という強い感情がまず先にある。
 都から追われる義昭を裸足で歩かせたのは秀吉であり、百姓の生まれ故に本当は武士を憎んでいるとも伊呂波太夫が言う。ここからは、自分を見下した武士という存在への復讐心が見てとれる。
 秀吉は理想世界ありきでは動いていない。麒麟の話を秀吉は聞かされていないが、そんなものは甘い夢だと一蹴されて終わりそうである。荒木村重の説得に当たる時に十兵衛に、ひとかどの武将に唾を吐きかけるような真似をしてはならないと言われるが、秀吉にとっては知らない話だろう。彼自身は唾を吐かれながら生きてきたのだから。
 十兵衛にどのような世が理想かと問われて、昔のわしのような者がいない世と答えているが、とってつけたようである。
 秀吉の分断を如実に物語るのが、母親のなかである。なかはパワフルであるが、噂話を大声で話し、息子の自慢をし、さらに東庵にまで色目を使う品のない人物として現れる。
 同じ場面にいる煕子との差が明白すぎる。
 針をどれだけ売っても褒めてくれなかった母親として秀吉の口から聞いていた母親の姿が、このような姿で現れる。
 リアルタイムで視聴していた時は、毒親的な存在なのかな、と思っていたし、そう思うことも可能だが、秀吉に針を売りに行かせ、どれだけ売っても褒めなかったのは、貧困ゆえの余裕のなさの現れだったのではないか、と思った。
 なかには品がない。だが彼女にとってみれば仕方のないことである。品を身につけられる環境にいなかったし、子供にとってはふしだらに思えても、生きていくためには、男に色目を使うことが最適解だったこともあるだろう。育ちの差という超えられない壁をなかの存在が如実に表している。
 また、金ケ崎から退却する時、殿を務めたいと言った秀吉が、病気で衰弱していた妹を目の前にして、姉が置いていってくれた芋を自分が食べてしまったという、火垂るの墓のような話をする。
 正直なところ、唐突な印象を受ける場面であった。だが、この兄と妹と余裕のない母親という家族構成は、その後、比叡山焼き討ちの犠牲になる少年と同じである。
 あの母親も子供には辛く当たっていたが、妹を救おうとして犠牲になった少年のことを駒に伝え、愛していたことが分かる。
 なかと秀吉はあの家族が、たまたま信長に見いだされ、成り上がった姿である。むしろ、妹を救おうとして犠牲になった少年と対比して、妹を見捨てて、自分だけが生き残って成り上がった逆の存在である。
 信長の造形も今日的だったが、実は秀吉の造形もまた今日的であったことに気づいた時には膝を打った。秀吉は分断の向こう側にいすぎるために、君子たり得ない。あたかも韓国映画パラサイトのような世界を生きていた。秀吉を天下人へ突き動かす原動力は、パラサイトのラストシーンの惨劇に向かう、あの衝動のような破壊的なものであるのかもしれない。

●光秀は天海なのか、そしてたまの存在が明かす、十兵衛の限界と欺瞞。

 理想世界を夢想するのは、駒ぐらい恵まれていないと叶わない、というのはなかなかにリアルであるし、救いがないようにも思う。
 確かに江戸幕府が出来たことによって、戦争はなくなるが、貧困や病がなくなった訳ではない。駒の理想としての麒麟は、今だ叶えられない夢として我々の前に広がっている。 むしろ、貧困に於いては、一億総中流の幻想が消えた、今我々の目の前に生きた課題としてある。病はまさにコロナパンデミックの最中である。
 麒麟がくる世の中への希求を、江戸幕府が出来たことで終わりにしないための仕掛けとして、我々に生きた課題を問いかけつづけるために駒は置かれていたのであろう。

 さて、最終回で山崎の戦いは触れられず、駒が十兵衛とおぼしき人物を見かけた場面と馬で疾走する十兵衛の姿で終わる。
 あれは、明智光秀生存説、とりわけ天海説を意味するのだろうか?

 まずは、歴史的には明智光秀が天海であることはあり得ない。確かに天海の前半生は不明だが、天海は蘆名氏の出身で会津に生まれたという説が有力で、下野の寺で修行したと言われている。天台宗の僧侶であったため、焼き討ちにあった比叡山にいた可能性はあるが、焼き討ちにした方ではあり得ないだろう。
 また、駿河の久能山にあった家康の遺体を掘り起こし(御霊を動かしただけで掘り起こしていないとも言われている)日光に動かしている。この日光への改葬は家康の遺言であったとされているが、生前の家康と日光の関わりは薄く、この遺言は天海のねつ造であったのではないかと言う。
 最高位の聖地を日光と定めるのは、正直なところ東国出身の人間でないと出てこない発想ではないかと思う。光秀が生きていた頃、日光山は北条の保護下にあるが、この物語においても、今川や武田は出てきても、北条のほの字もないように、光秀と東国の繋がりは薄い。だが、このような歴史的な正しさを別にしても、光秀は天海ではない方がいいと私は思う。その根拠は、娘のたまである。
 たまは父の十兵衛を慕い、その十兵衛を支えながら死んだ煕子を慕っている。母の死後は、駒に製薬を習っている。十兵衛と駒、麒麟を追う、二人の理想がたまに引き継がれる。
 この、とりわけ駒からたまへの理想世界の繋がりは、この先の悲劇を予感させる。たまは光秀の謀反によって、細川家で幽閉され、その中でキリスト教に出会う。
 この物語の延長で見るならば、たまは麒麟をキリスト教の中に見いだしてしまうのだろう。この当時、駒が行おうとしていた施薬院のような、病気の人を集め、癒やすということは宣教師たちが行っていた。無論、キリシタンにとっては、麒麟など異教徒の偶像に過ぎないだろうが。
 たまは関ヶ原の合戦の時に命を落としてしまうが、徳川の時代になると、彼女が信仰したキリスト教への弾圧は激しさを増すことになる。弾圧は家康の時代よりも、秀忠、家光の時代の方が激しい。
 十兵衛が天海であるのなら、家康を日光に改葬し、後に家光の命によって、天海の理想世界の体現である日光東照宮を建てるのと平行して、江戸幕府は長崎や雲仙でキリシタンへの激しい弾圧を行うことになる。
 天海はキリシタンの弾圧に直接関わっていないし、通常責任が問われることはない。だが、そこに天海と光秀を同一人物だったとしてしまうと、たまの存在が挟まり、因果関係が発生してしまう。
 十兵衛が天海であるのなら、人生の最晩年に比叡山の反復が行われてしまう。それはあまりにもえげつないと思うのだ。

 つまり、将軍を頂点とする強い統治機構が誕生し、戦のない世が訪れるが、それは価値観を共有しないキリシタンへの徹底した弾圧と引き換えに成立している。
 駒とたまの繋がりは、十兵衛の理想とする世界のシステムが完成しても、そこに魂が入りきらないことを予感させる。十兵衛の理想は十兵衛が考える方法だけでは叶わないのだ。
 信長を出すならば、また戦国時代の価値観の相克を出すならば、なぜキリシタンを出さないのだろう?と思っていたが、キリシタンを出してしまうと物語の収拾がつかず、十兵衛の限界が誰の目にも明らかになってしまう。これでは出せる訳などなかったのだ。
 また、全編を通じて肯定的に描かれる家康であるが、43話にて築山殿と信康について、信長よりも先に処分して置くべきだったと言う。
 ここで、妻殺し、子殺しを肯定したことで、家康もまた仁を失い、君子たり得なくなっていくのではないか、とも取れる。
 最終回で駆けていく、十兵衛の姿は、麒麟を求め続けた駒の希望であると同時に幻であった、とした方が良いのではないだろうか。
 コロナパンデミックのさなかにあって、撮影が押し、視聴者もまた様々な試練を強いられる中で救いのある終わり方であったと思う。

●令和のウルトラセブン、麒麟がくる

 麒麟がくるは信長の描き方を中心に、作品の同時代性が滲むものだった。戦国時代を描きながらも、令和の今を投影するものだった。そのため、描き方として恣意的になった部分はあった。特に義昭と決別してからの史実の描き方の解像度は粗めである。
 新しい信長ではあるが、史実に沿った信長であったか、と言われると違うと私は思う。故にもっと違う信長が見たかったという人もいようし、室町幕府や駒に分量を割いた部分を削って欲しかったという人がいるのも理解できる。
 だが、所詮ドラマはドラマであり、歴史物と言えども、現代人が現代人に向けて作っているという部分を無視して良いものではないだろう。
 前述したように平成の間に描かれ、人口に膾炙した織田信長に一つの落とし前をつけたことを私は評価したい。
 池端俊策が、29年前に脚本を担当したのが太平記であるが、室町幕府を描いた作品としてはその間に、1994年の応仁の乱を扱った花の乱がある。麒麟がくるのオープニングのフォントやタイトルなどはウルトラセブンのオマージュなのではないか、と言われている。
 二つに共通するのは、2011年に亡くなった脚本家の市川森一である。
 花の乱は平清盛、いだてんとと共に今だに低視聴率大河ドラマの例として今だにやり玉に挙がるが、平清盛、いだてん同様できの悪い作品ではなかったし、今だにカルト的な人気がある。
 テレビが娯楽の中心だった時代にも関わらず、なじみのない時代を扱い、セリフ回しなども難解なため、脱落する視聴者が後を絶たなかったが、きっちりと時代考証を行い、室町時代の話としながらも、そこで描かれていたのは紛れもない平成の夫婦と家族の物語であった。
 ウルトラセブンはウルトラシリーズの中では社会問題を扱った深い作品が多いと評価されている。
 麒麟がくるは、怪獣と戦うヒーローや応仁の乱の時代に現代を仮託させ、物語を紡ぎ出した市川森一へのオマージュを感じた。
 
 コロナで翻弄されながら、完走してくれた制作陣には本当に感謝しかない。

 それぞれの理想世界を愚直に望み続けた登場人物達を、斜に構えることなく受け止める。それが、麒麟をくるを見た我々が見るべきことではないか。
年齢的に考えて、池端俊策が次の大河ドラマを書くことはないだろう。
 老練の脚本家が現代に置いていくものを考える時、我々もまた麒麟を求めているのではないだろうか。

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