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せみの一生についての勘違い

夏になるとセミの元気な声が聞こえますよね

私は、住宅街に住んでいますが
家の目の前が公園ということもあり
家の中にいてもセミの鳴き声が聞こえます

子供の頃、親からこんな話を聞きました

セミは、地中で何年も過ごして
地上に出てきてから1週間しか生きられない

当時は

1週間しか生きられないんだ
かわいそうだな

という感想を持ったように覚えています

でも、最近思ったんです
セミの一生は1週間ではなく数年だって

当たり前のことなんですが
どこかで、地上にいる間が一生なんだ

このように履き違えて受け取っていた部分も
あったなぁと感じたのです

もしくは、地上で生活する1週間こそが
素敵な時間なんだ

そして、地中で過ごしている数年は
耐えている時間なんだ

こんな感じで受け止めていたのかもしれません

もしかしたら、セミにとっては
涼しい地中からわざわざ猛暑の地上に出て
1週間も過ごさなければいけない

という気持ちなのかもしれないな

こんな風にも感じました

セミの気持ちもわからずに
勝手に自分が思い込んでいたようです

他人と会話をする時に
相手の話は勝手に判断しないで
最後までよく聞こう

このような話をされることもあります

その位、相手の気持ちはわからないですよね

それなのに

どこかで自分の価値基準に照らし合わせて

良いとか悪いという判断を
してしまっているかもしれないな

そんなことをふと思いました

セミにとっては、数年を地中で過ごし
最後に地上で過ごす

これが当たり前の一生なのかもしれません

地中であろうと地上であろうと
どちらが幸せという区別もないのだと思います

でも、セミの生態を知った当時の私は
地上で1週間しか生きられないのはかわいそう

こんな気持ちで受け取っていました

自分の幸せだと感じることが
相手にとっても同じように幸せだ

このような思い込みは
本当はおかしいのかもしれませんね

他人とコミュニケーションを取る時に

自分が嫌だと思うことは相手にしない
自分が嬉しいと思うことを相手にする

これは、ある意味では
大切な対応だと思います

でも、本当に大切なのは

「〇〇されると私は嬉しいけど
 あなたはどう?」

といったように相手に
直接確認することなのかもしれません

万人が全く同じ回答をするものも
あるかもしれませんが
少数派の意見を持つ人もいると思います

100人の前で話をする

というような場合には難しいと思いますが

全員の顔が見える人数の前で
コミュニケーションを取る

このような場合には

相手にとってどうなのか
ということを相手の目線で考えていく

このことが非常に大切だなと
改めて感じました

そして、もしも可能なら
セミにとっての最後の1週間はどんな時間なのか
セミさんの気持ちを知りたいなとも
ふと思いました

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