【中国日誌】402日目 22.9.26

眠れない。悲観主義者は悪いこととして捉える。私もその一員であった。しかし、そこから脱退することにした。まだ、根付いた思想、その後遺症は残るモノの、少し楽観的に見れるようになった。眠れないのは私が眠れないのではない。私が憑依したこの体が眠らないのである。そして、体は私の意思とは関係のないところで様々な判断を下す。私では認識不可能な複雑系を担当するのが体ということである。そんな体が眠らないことを選択したのだから、それが必要なことであるのは、言わずもがな。私は体のことは体を信じることにした。ただそれだけのことである。体に感謝を。

朝4時半に起き支度と日課。8時に出社。仕事の中で、少し、怒りを抑えながら、冷静に相手を諭すことがあったが、何度やっても後味が悪い。相手を否定しているような感覚にとらわれる。人は間違う生き物である。人は楽する生き物である。人は感情で生きる生き物である。その前提に立てば、相手の言動は十分すぎるほど理解できる。しかし、仕事ではそれを否定しなければならない。この矛盾を抱えて正しいと思うことを実行していくのが仕事である。正しいと思えるのであれば、矛盾もないだろうにと思う矛盾。人は間違えるのだから私の正しいも間違えの確率成分は恐らく含まれているはずである。そういう、葛藤が私を成長させてくれていると解釈することとした。17時半過ぎに退社し、ご飯食べて少しピアノ弾いて、夜更かしを0時過ぎまでした。いつ寝れたかは定かではない。

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