【中国日誌】461日目 22.11.24

私は葛藤している。それは優しさとは何か、ということである。何もしない優しさ、何かをする優しさ。私はこの二つの優しさに挟まれて身動きが取れないのである。その瞬間だけで言えば、人を助ける行いは、明らかに正しい。しかし、長い目で見た場合、助けたことによってその人の失敗の経験を摘むことになるのではないか、そう思うのである。その瞬間では私は助けることができる、しかし、その人が、助けてくれる人がいなくなった場合、その人は弱者である。ゆえに、不用意な救済は弱者を生むことに貢献していることになる。弱者は最悪、生命の危機にまで追いつめられることになる。ということは、そうならない程度まで、助けれる立場の人が見守ることが優しさではないのか。そして、必要であれば補助くらいはできるであろう。ゆえに助け過ぎず助けなさすぎず、これが最適解である。ただ、その最適が難しいのである。葛藤に感謝を。

朝4時20分に起き、支度と日課。8時に出社。18時半に退社。少しネガティブモードになっているのを理性でいさめ、ご飯食べて、ピアノ弾いて、22時くらいに寝た。

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