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My Mother 「あの坂を上がっていった先に、住んでいたうちがあったの」

東京から田舎にUターンしてはや3年。ペーパードライバーだったわたしは、田舎暮らしでの必要に迫られてなんとか車を運転できるようになった。少しずつ、運転の走行距離を伸ばし、今では100キロ以上離れた他県でもナビを見ながら、ひとりで運転して出かけられるまでになった。

自分で運転するようになって気づいたことは、運転席から見える景色が以前とはかなり違うということ。両親の運転する車に家族で乗っていた頃は、基本的にわたしは後部座席に座っていたのでその時とは明らかに見え方が違う。正面から街を見据えて車を走らせる。

父を亡くしてからは、わたしが運転することが増えた。助手席に座るようになった母は、運転に神経を使わない分、以前より自由きままによくしゃべるようになった。運転するわたしはといえば、常に緊張し真剣だ。
車内における家族のポジションが変化したのを感じる。車のダッシュボードには父の写真がお守りのように入っている。

茨城県大子町は、わたしでも運転して行ける距離の観光地だ。何より、国道118号をひたすら真っ直ぐに運転していけば目的地に着くので、わたしはこの国道118号をドライブするのが好きだ。母とは、大子町の袋田の滝を見に行ったり、月待ちの滝へ蕎麦とかき氷を食べに行ったり、温泉宿に泊まったり、林檎狩りにいったりと、2023年は1年のうちに4回も通った。その道すがら、助手席に座るようになった母は、とにかくよくしゃべった。

ちょうど国道118号のまわりには、母のうん十年分の歴史が散りばめられているようで、道中は、さながら、ドライブ回想法を試しているみたいになる。母は、むかしの思い出ばかりを話す。

「あ、あそこの建物でね、結婚したばかりの頃、パパ(わたしの父)が講演会をしたことがあったんだよ。おじいちゃんが、すごい婿が来たって喜んでいたんだ」

「昔、このあたりで、災害にあった知り合いがいて、おじいちゃんがトラックに茶碗や布団、家族分の服や食料を一式詰め込んでお見舞いにいったことがあったんだよ」

「ここのあたりに知り合いがいて、そのひととおじいちゃんとで悪いことをした政治家(賄賂事件だったらしい)をかくまっていたことがあったんだって」

「あなたが大学に入った頃、近所の友だちと旅行できてね、この道をひたすら歩いて行って、美味しい蕎麦を食べにいったんだよ。わたしも若かったよね、夜は温泉旅館に泊まったんだよな〜」

土地と風景が記憶を呼び起こすのだろうか、歳を取り、父を亡くし、思い出が勝手に湧き出てしまうのか、今までも何度も通った道路であるのに、いろいろな話がとめどない。

その中でも、いちばん衝撃だったのが、大子町へ行く途中の道路沿いを運転しているときに、
「わたし、ここで戦争のとき、疎開していたらしいよ」
という話だった。

「そんなこと今まで聞いたことなかったよ、初めて聞いたんだけど!
と、わたしが驚くと、
「初めて言ったかもね」と母。
今までだって何度も通った場所だったのに、母の人生にとって大切な物語のある場所だなんて知らなかった。まして、母が戦時中、疎開していたことすら知らなかったよ。

道路に沿って流れる那珂川を見て「あの川で水遊びをして遊んだこともあるんだよ」とも話す。
日差しできらきら光る那珂川を横目で確認しながら、わたしはハンドルを握る。
あ、でもちょっと待って。疎開していた頃、母は赤ちゃんだったから、土地鑑や景色の記憶なんてあるわけないじゃん。
そんなわたしの疑問をぶつけると、母は、「戦後も毎年遊びに来てたから知ってるんだよ。学校が夏休みのときは長い間泊まってたんだよ」と話した。

なるほど、疎開先との関係は、戦後も続くものなのか。母と祖母は、知り合いの家を間借りして疎開をしていたらしい。なにしろ祖父と祖母も鬼籍に入っているし、母も赤ちゃんだったから、疎開していた当時の暮らしの記憶は定かではない。でも、疎開先の夫婦からは可愛がってもらった記憶はあるらしく、母は、自分の結婚式にも招待していた。その後、代が変わって疎開先の家族とは、疎遠になってしまったらしいけれど、国道118号沿いの風景はあまり変わっていないらしく、母の思い出は芋ずる式にどんどん蘇っていく。

「あの坂を上がっていった先に、疎開で住んでいたうちがあったの!」
車の中からゆびで指して話す母の目は、十代のこどもの目みたいだった。わたしには見えない当時の風景が現在の風景の上に重なって見えているのだろう。
輝いた表情の母に、赤毛のアンの「曲がり角を曲がった先には、何があるか分からないの。でも、きっといちばん良いものにちがいないと思うの」の文言がオーバーラップしてしまった。
未来に向かって駆け上がって行くこどもの頃の母の後ろ姿がなぜか目に浮かんでしまった。

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