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My slow food journey-北の国から- ラーメン屋「東灯」

東の灯りと書いて東灯(ともしび)。
ごうごうと海風が吹き荒れるなか、ずっとずっと東に行けば、ポッと灯るあかりに出会える。
まるで、暗闇の海を彷徨う船が、納沙布岬の灯台の明かりを見つけて希望を見出すように。

これは、今は亡き私のじいちゃんが名付けた本土最東端にあるラーメン屋「東灯」(ともしび)の由来だ。
じいちゃんは納沙布岬の灯台が大好きで、毎日同じ時間に、望遠レンズと一眼レフを背負って、岬へ出掛けていた。

じいちゃんが亡くなって以来、ばあちゃんが1人で店を切り盛りしている。

東灯(2022年10月31日筆者撮影)

北海道の様似町出身のおばあちゃんは、中学卒業後、家が貧しかったので働かなければならず、昆布拾いや、加工場で働き、家を助けていた。
出稼ぎで根室の加工場に送られた際、じいちゃんと出会い、結婚。

大正7年生まれの私のひぃおばあちゃんが70歳までパンや雑貨を売っていた傍ら、「みさき食堂」というラーメン屋を営んでいた。

ひいばあちゃんが営んでいたお店
(1961年3月石井一弘さん撮影)


70歳を機に引退し、店は、ばあちゃんが引き継ぎ、平成元年、新たに「東灯」をオープン。
「家族を食べさせなければ」という理由で始めたラーメン屋は、たちまち地元の人、観光客の方々に愛される存在に。

じいちゃんが健在だった頃は、出前もやっていた。ばあちゃん1人になってからは出前は出来なくなってしまったが、それをわかって地元の方はわざわざお店まで取りにきてくれるのだ。
店が忙しい時は、お客さんは食べた終わったらお盆を自ら下げてくれる。
「いつもこうやってお客さんに助けられてやっていけてるんだよ〜」と、ばあちゃんがしみじみ言う。

そんなばあちゃんだが、じいちゃんが闘病中の時、1人じゃ大変だから、俺が死んだら店辞めてもいいんじゃないか?と言われたらしい。
そして、じいちゃんが亡くなってから1ヶ月間、店を閉めて考え込んだ。

その1ヶ月の間、沢山の常連さんたちが駆けつけて、辞めないで続けた方がいい、辞めないでほしい、お母さんに東灯やめられたら困るよ。と、温かい言葉をかけてくれたのだそう。

そして、「1人でまた再開する」と決心した。

それ以来、ばあちゃんは再びお客さんのお腹と心を満たしてきた。

慣れた手つきでせっせとラーメンを用意する
(2022年10月31日筆者撮影)

ばあちゃんの店の手伝いをしていると、お客さんは、ご飯だけでなく、ばあちゃんも目当てで来店していると思えてならない。お客さんは、ばあちゃんとの会話を楽しんで帰っていくのだ。
そして、お店に流れるなんとも言えない安心する雰囲気。 
ばあちゃんはラーメンを通して、体だけでなく心も温めてきたのだ。お客さんの心にお店の名の通り、「ともしび」を灯してきた。

これからも人々の心を温め続けて欲しい、と切に願う。






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