夜と時間と自分自身
夜になり風が涼しい。どこかで火事があったのだろうか。消防車が走り抜けていくのが聞こえる。時間は皆に平等というけれど、使い方で、いかようにもなってしまう。動ける自分がある人は、どんどんうまく使っていくといいと思う。動けない自分に甘んじざるを得ない人は、動かなければ、どうなるかを考えないようにして、じっとしているに限るんじゃないだろうか。自分を責めるな。追い込むな。どう生きたって、終着点は同じかもしれないのだし。持って生まれたものは、あまり変わらないようだ。どこかで曲がったのかもしれないが、曲がったものは、まっすぐにはならない。生きる自分は、今いる自分。嫌でもなんでも、今の自分。出来上がってきたものは今の自分。自分自身。多くを望んでもいないようで、けっこう望んでいる。望まなければ、いいのに。人生あきらめれば、辛くはないのかもしれない。昼日中から酒を飲んで、うら寂れた公園のベンチに座り続ける年老いた男たち。彼らは、何を思うのだろうか。彼らの自分は。自分自身は。考えないでいられるのが幸せなのか。何も考えないで。考えない。どこにも行かない、変わりたくない自分。けれど、変わっていく自分。変わっていく状況。繰り返し繰り返し、変わらないふりをしながら、変わっていく時間。もう一息だと頑張って、たどり着いたところは、先の見えない尾根の途中。登っているのか下っているのか。そこに佇んでいるわけにもいかない。重い足を引きずるように、その場から動き出すしかない。そういうものなのだろうか。そういうものではないと思っていたんだけれど。思っていたんだけどな。持って生まれた何かが、そう感じさせるんだろうか。また夜が更けていく。
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