見出し画像

因果律の逆転、さもありなん

昔から思っていることがある。原因があって、その結果が出る。実はそうじゃないんじゃないかと。もともとある事象に向かって、その結果に向かって、物事は進んでいく。結果があって、その原因となるような物事が生じている。それが証拠に、正夢やデジャヴを見ることがよくあるのではないか。もっと身近なことで言えば、泣くことで悲しくなったり、笑顔を作ると楽しい気分になったり。手相の生命線をマジックで伸ばせば、寿命が延びたり…これはちょっと違う。

深く突っ込んで考えたことはない。が、変わらぬ疑問がずっとある。時間についての研究では、すべての事象は同時に起こっているという。過去、現在、未来が、すでに、同時に存在しているのだとすれば、因果律自体が意味をなさない。一方で、並行世界を論じれば、すべての可能性が無限に存在するという。結果は無限に生じていく。それとも、無限の過去、現在、未来が同時に存在しているのだろうか。

毎日、日々の繰り返しの中、先のことを思い、漠然とした不安の中にある。仏教にしろ、また流行りのスピリチュアルな言説にしろ、今現在を大切にしろと言う。テクニカルタームでは、「なかいま」を生きる、と言うらしい。

今を楽しくし続ければ、楽しいが連続していくに違いないし、今を苦しい心持で過ごせば、苦しいことが続いていく。

単純なようで、難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?