ごめんねごめんね~
詫び状というものが、現代では体系化されていないなと思います。
それこそ詫び状は表現するに難儀で、そういうものがそこそこに出回っていた昭和中期を天才の #向田邦子 が画(えが)くくらいしないとやっとこさでも表現できない、作"中"文として成立たないものだとは、思いますが。
絶対に謝りたくない人間に謝らせる、 #東野圭吾 さんの名作にはそんなテーマが、猛烈な気合が積められていますが、大抵の場合のそれはそれを示す行為と、その強要の正当性を相手なり第三者が怒鳴る事で達成されていると思います。…違うのも多いよというファンの人ご免なさい、詫び状が出てくる氏の作品をコメントしてくれたら読みます。
ともかく、文章で反省を示す、文章で反省を示したものは単純に反省の記録である点、次に霊長類で最も賢きの人間だけが反省という進歩を出来ている証拠として、尊いものだと思うのですが…。
あっと、反省文は別です、That's 書かされるもの。
とりがな区もう悪さしないぞ
とりがな区もう悪さしないぞ
とりがな区もう悪さしないぞ
コピペ、予測変換しないで記してみました、でも謝意がが伝わらないでしょう?3行の同文章の同行為を自制する旨の文。
「自分の言葉で書け、」そう言われて書かされるものもこの三行とそうは変わりません、ただ指導者、監督者への服従を示すのみ。犬の反省3分お座りの方がまだ情に訴え掛けるでしょう、5分伏せには完敗です。
この記述は貴重でしたが、どうもCopilot君の以外の資料が要領を得ないので、もうちょっと粘って色々を訊いていたら、
「絶対詫びられません、」
「申し訳ない。」
見事にオチたようです。もしかしたら、詫び状の事を考える、詫び状を書くときくらい、スマホぽちぽちはやめたほうがいいのかしら?ごめんなさい、今日はこれで、お暇願います。また合う日まで、ご機嫌直してよ、ね?
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