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ものの溢れる世界で、ものをつくる

少し前のことになるけれど、うちで飼育してる羊のひとりが、足の様子がおかしくて、獣医さんに見てもらった。

関節は大丈夫そうということで、なんだか今年は変わった伸び方をしてる蹄を調整してもらった。

動物の不調は、話してくれないから、難しいなって思う。
それでよくなるのか、何が原因なのかも、はっきりはしていない。

お世話になってるのは、大型動物を往診で診てくださる獣医さんで、羊やヤギも診てくれるけれど、たぶん牛が主なお仕事。

羊の蹄の整え方の話から、牛の蹄を診てはる時のお話をしてくれて、でも状況がよくわからなくて質問をいくつかしたことで、その牛たちの日常に気がついた。

でもなんだかショックが大きくて、言葉にして確認することができなくて、だから予想で強いことは書けないんだけれど。

でも、これまであちこちで聞いた話からしても、とても辛い状況の牛たちがいるのではないかと思う。

私はこれまで、牛でも羊でも牧場をされてる方は、とても彼らを大切にしてはる方しかお会いしたことがないし、本来の姿に近い形で飼育しようという取り組みも進んでいて、すごいな、かっこいいなって心から思っている。だから、畜産自体をどうこう言いたいんではない。動物と共にどう生きるのかということは、いつもあれこれ思うし、葛藤もあるけれど。

ただ、きっと動物がすごくお好きで獣医さんになったんだろうなぁって思っていた目の前の獣医さんの普段の仕事を思うと、なんだかすごく悲しくて、リアルで身近な問題として、やっと立ち上がってきたことがある。

なんてこと!って思うこと、それが私たちの何気なく生きてる社会が見ないふりをきめこんでることなんだな、と思う。
安い乳製品やそれを使った加工品もだけど、服だってなんだって、どこでどんな風にできてきたのか、私たちは知る機会を自分でつくらない限りほとんどなくって、気にもしてなかったりする。
でも、どれだけのことを踏みつけにしてこの世の中は成り立ってるんだろうってことを、身近にリアルに感じた時、いや、私は気づいてたし、そういうことなんとかしたいって思ってたやん!って自分に腹が立つ。

生きてるものみんなが、幸せであれるように、私は小さくてもいる場所でできることしようと思ってたのに、あまりにもなにもできてなくて、がっかりするし、情けない。

着てるものも、食べるものも、ぜんぶ自給するのはもちろん、ぜんぶを元から知ることだって難しい。世界は広いし、1人の人の力も時間も限りがある。

お店に行けば、ほんとに当たり前みたいにもので溢れてて、この中のどれだけのものが大切にされ、どれだけのものがごみになるんだろう、って思うと時々怖くなる。

でも、その社会の一部が私。

私だって、全然自慢できる暮らしをしてる訳ではなくて。服は気楽に買わないって決めてる。何を買うにもなるべく応援したいところで買いたいって思いもある。けど、おやつは基準が甘かったり、それでいいのか、ってことはあれこれある。

なにができるんだろうって思った時、小さいことしか思いうかばないんだけども。

元をたどればたどるほど、知るほどに幸せになるような、そんな食べ物や着るもの、日用品と共に暮らせたら、みんな幸せだろうなぁ、そうなるといいなぁって思う。

みんな、はつくるひとも、それを使う/食べるひとも、人間以外の生命も地球自体も。

大地からの恵みを、感謝と共に必要なものにつくりかえてく。

そうしてできたもので暮らすことで、私たちは私たちを育んでくれてる大地とひとつだって感じられるんじゃないだろうか。頭で知ってる、じゃなくて。

それって、別にかわったことでも特別なことでもなくて、きっと、私たちの遠いご先祖さまたちは、当たり前にしてたこと。

元からなにかをつくることは、特別なことではないから、日常に少しずつでも、取り戻していけたらなぁと思う。

いろんな道があって、いいも悪いも、正しいも間違ってるもない。でも今私はこんな道にいて、ここからどう進もうか問い続けたいなぁって思っている。

1人の人の力は小さいけど、でも、世界は変わってきているなぁっていう希望も、日々感じる。

悲しいも、情けないも力にできますように。

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